【情報と説明文】詩的センスをもって読み手の心に訴えかける【感覚と描写文】
創作するときに必要な「詩的センス」について考えましょう。
とはいえ、書き手が詩を自作できるようになったり、誰かの詩を引用する方法をご紹介するわけではありません。
読み手の心に訴えかける文章を描くことにフォーカスします。
そのためには、書き手が自らの詩的センスに着目することが重要です。
文章で伝えるのは「情報」だけではない
まずは例文を見比べてみましょう。
例
① ご飯を食べた。
② 冷え切ったハンバーグを咀嚼した。
どちらの文章も、食事を摂ったことに変わりはありません。
単なる情報として伝えるだけであれば、①の文で十分です。
それでいて②の文からは「侘しさ」「虚しさ」「孤独感」といった、感覚的なものが伝わります。
広い意味で考えれば、情報を伝えない文章はないといえるでしょう。
ただし「感覚的なもの」の伝達は、書き手の工夫があってこそ成立します。
「冷え切ったハンバーグ」であることや、それを「咀嚼した」ことには意味があるのです。
詩的センスもって描く
「情報」と「感覚」の違いは、いいかえれば「説明文」と「描写文」の違いでもあります。
説明することで情報を伝えるのか、描写をすることで感覚的なものを伝えるのか。
文章を書く側として、この違いは判別できるようにしておかなければなりません。
前項にある②のような文章は、詩的センスをもってこそ実現できるものです。
このとき「冷え切ったハンバーグを咀嚼した」が詩として成立しているかどうかは、さほど関係がありません。
「読み手の心をどう動かしたいのか」「文章から何を感じてほしいのか」を考えるからこその言葉選びであり、表現であることが重要なのです。
もちろん、無理に美文や名文を書こうとしたり、考えなしに内容の抽象度を高めたりしてはいけません。
それは書き手の自己満足でしかなく、読み手が求めているものではないからです。
しかし一方で、描写文で感覚的なものを伝えるのであれば、「説明文」との差別化をはかることもまた大切ですね。
そのときポイントになるのが書き手の詩的センスであり、これをもって感覚的なものを描くわけです。
明確な区別はないが、書き手の意図はもつべき
たとえば、次のような文章を書いたとします。
例
部屋に入った僕は、いつものように左手の中指で照明を点ける。テーブルに着き、冷え切ったハンバーグを咀嚼した。テレビはつけなかった。
どこからが情報で、どこからが詩なのか。
すべて情報のような気もするし、すべて詩的感覚で描かれているような気もしてきます。
文章の性質の違いは、他人からみれば非常にあいまいであり、そこに明確な区別はないのです。
ただし「読み手の心に訴えかける文章を描く」のであれば、書き手の意図はもっておくべきです。
「単なる情報伝達」という文章の根本的な機能に縛られていては、文章をもってなにかを描くことはできないでしょう。
むやみに言葉を並べるだけでは描写文は実現せず、読み手の心を動かすこともできません。
詩的センスをもって言葉を編み、読み手の心を動かしていきましょう。
■ 参考
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