【一人称で書く】主人公と地の文の関係を考える【主人公の年齢】【文章の偏差値】
小説を一人称で書く場合、地の文の土台となるのは”主人公自身”です。
とくに「主人公の年齢」は内面を標榜する基準となり、地の文の書き方に強い影響を及ぼします。
そこで書き手が悩むのは、年齢に応じた地の文を書くべきかということです。
今回はこれについて考えていきましょう。
「相応の書き方」という概念
一人称で物語を進めるのですから、「主人公にないもの」は書くことができません。
対外的な要素から持ち込んだり、経験を通して学ぶように仕向けたりと、工夫が必要です。
相応の書き方から逸脱してしまうと不相応な文章となってしまい、物語が破綻します。
この概念を「地の文」に応用してみましょう。
細部を描くにあたって、思考力、行動力、語彙力を含め、「主人公がもっているものしか使えない」ということになります。
「相応の書き方」をするのであれば、地の文も主人公の偏差値にそった筆致で書かなければならない。
この考え方をもって書くと、さまざまな制限が設けられることになります。
「幼い主人公=幼い文章」で書くべきか
社会的に”大人”として扱われる年齢であれば、書き方について悩む必要はないでしょう。
問題になるのは、若い主人公を設定した場合です。
「少年・少女」を主人公に設定した書き手が、「相応の書き方」で物語を進めるとします。
つまり若い主人公の年齢にあわせて、文章の偏差値を下げるわけです。
例
主人公:小学2年生の女の子
× 母に申し付けた。
○ ママにお願いした。
このように、地の文で扱う「思考力、行動力、語彙力」を、少年・少女のレベルにあわせなければならないのです。
言葉の選び方や使い方については、書き手がその都度対応すれば済むことでしょう。
しかし「小学2年生の女の子」がたったひとりで遠出したり、今後の人生について具体的に考えたりするのはやはり不自然ですね。
いいかえれば、地の文の偏差値を下げると「構成上の不都合」が生じるため、執筆が窮屈になるのです。
過度に偏差値を下げる必要はない
一人称で書く場合、「主人公と地の文の関係を無視した文章」は避けるべきです。
ただし小説を書く以上、象徴的なドラマをもたらすこともあれば、深いテーマに触れる場合もあるでしょう。
難しい漢字を使わないようにしたり、幼稚な発想のみで物語を進めるとしたら、必ずどこかで無理が生じます。
書き手が強行突破しようとすると、小説として成立しなくなる恐れがあります。
書こうとしているのは夏休みの日記ではなく、小説です。
主人公の年齢と地の文を無理に合致させることで、その前提が崩れるのは本末転倒ですね。
だからこそ、過度に偏差値を下げる必要はないのです。
小説の世界では、小学生の子どもが論理的に思考したり、合理的に行動したりするのは許されることです。
書き手はそれを文章にすることを恐れないようにしましょう。
もちろん、主人公と地の文の関係があまりにも乖離していれば、読み手に不自然な印象を与えます。
無理なく物語を進められる距離感を見つけ、バランスをとりながら書き進めましょう。
■ 参考
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