書き手のこだわりとジレンマ【伝え方を変える】
書き手はひとつのテーマに強いこだわりをもつことがあります。
特定の物事について見識を深めることができれば、書き手の活動に多くのものをもたらしてくれます。
しかし一方で、専門性が高まったゆえのジレンマを抱えてしまうこともあります。
今回はこのことについて踏み込んで考えていきましょう。
こだわりが武器となる
たとえば私は「文章の書き方」について常日頃から考えています。
このテーマは思っているよりも壮大で、一生涯をかけたとしても納得できる答えは得られないでしょう。
だからこそ日々、地道に、孤独に、研究を続けているわけです。
ほかの書き手にも同じことがいえるのではないでしょうか。
ブロガーやライター、ジャーナリストや小説家など、文章を書く仕事はたくさんあります。
特定の国や人物、哲学や文学、芸術やサブカルチャー、災害や事件、アクチュアルな社会問題など、書き手が重きをおくテーマはさまざまです。
それが「書き手の特色」と認識されれば、執筆活動をする上での強力な武器となるでしょう。
専用の武器が手に入れば、「他者にはない長所」を得られることになります。
ときには「専門家」として扱われ、私自身も『文章の鬼』がきっかけとなってお仕事をいただいたこともあります。
当初は「書き手のこだわり」でしかなかったものが、二次・三次的な活動につながっていくのです。
これは書き手の活動を継続する上で、大きな恩恵といえます。
特色のジレンマ
ただし、ひとつのテーマに傾倒した書き手は大きなジレンマに直面する可能性があります。
かんたんにいえば、ネタが不足するのです。
特定の物事にこだわり、特色がつきすぎたからこそ、自分自身でも「これ以外(以上)のことは書けない」となってしまうこともあるのです。
一冊の本を出版できるほどの知識や情報をもっていても、二冊目、三冊目と続けられるかはわかりません。
ある程度のマネタイズに成功している書き手であればなおさら、今後の身の振り方に不安がよぎるでしょう。
マルチに活動できれば「書くネタ」が増えるかもしれませんが、「特定の物事について書きたい」という自分のこだわりを捨てるには大きな勇気が必要です。
すると、「武器だったはずの特色が活動の幅を狭めている」と思えてくるわけです。
ジレンマに悩んだであろう書き手が、「テーマの変更」に乗り出す状況はしばしば見られます。
それも有効な手のひとつではありますが、早々に決断できることではありません。
次項では、こだわりを捨てずにうまく立ち回る方法をご紹介します。
読み手の数だけ「伝え方」は存在する
実のところ「特色のジレンマ」はかんたん解決することができます。
重要なのは、「ジレンマを抱えているのは書き手自身であり、読み手ではない」と自覚することです。
主体はあくまでも読み手であるべきで、書き手が自分のこだわりに縛られる必要はありません。
するとたったひとつのテーマ、同じ内容であっても、たくさんの文章を書くことができます。
わかりやすいのは「年代別」での書き分けです。
たとえば「文章の書き方」について発信するとき、大人に伝えるか、子どもに伝えるかでその内容は変わってきます。
大人の読み手に伝えるのであれば、文法的な説明からアプローチしてもさほど問題ないでしょう。
しかし子どもに伝えるときに、小難しい品詞や技法、文の成分や機能について細かく説明してもわかってもらえないはずです。
次に「読み手のニーズ」によっても書き分けることができます。
伝えたい内容が、受験向きなのか、創作向きなのか、ビジネス向きなのか。
たとえ同じような内容であっても、読み手のニーズにそった内容を考えることで、文章は変わってくるのです。
あるいは「執筆する媒体」によっても変化があります。
「歴史と伝統をもつ雑誌」と「ポップなウェブサイト」で、伝え方が同じとは思えません。
出版するとなればそれなりの強度を求められるのは当然のことで、メモ書き感覚で書くことはできないのです。
書き手がなんらかの物事に強いこだわりをもつのは、決して悪いことではありません。
考え方を少しだけ工夫すれば、その内容をたくさんの人にそのこだわりを伝えることができるようになります。
信念を固めることを恐れず、求められる状況に応じて適切に伝えていきましょう。
■ 参考
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