危うさを含んだ文章【トゲとカド】【伴うリスク】
書き手は「誰からも批判されない文章」を目指すべきではありません。
なぜなら、批判を徹底して避けた文章は「平凡」「平板」「単調」になりがちだからです。
『悪名は無名に勝る』という言葉があるように、多少の刺激は必要なのです。
刺激のないものを良しとするのなら、世に出まわる文章はどれも似通ってしまうでしょう。
今回は『悪名は無名に勝る』に沿ったアプローチから、ありきたりな文章にしないための解決策を考えていきます。
「危うさ」を含ませる
文章に違いを作ろうとするとき、書き手はなんらかのリスクを背負わなければなりません。
リスクにもさまざまな種類がありますが、たとえば次のような文章を書く場合は強い気持ちをもって挑む必要があります。
● デリケートな問題に対して鋭く切りこむ
● 特定の対象(人や事物)を厳しく批判する
● 自分が属する業界の内情を暴露する
ある意味では、「週刊誌」的なアプローチですね。
このように書かれた文章には「危うさ」が含まれています。
内容の質や扱うトピックにもよりますが、少なくとも「平凡」「平板」「単調」ではいられなくなりますね。
良し悪しはさておき、危うさを含んだ文章が読み手の目につきやすいのは間違いありません。
「トゲ」や「カド」
危うさを含んだ文章は、内容に「トゲ」や「カド」がなければ成立しません。
読み手からすれば「こんなこと書いていいのだろうか」「これは発信していい内容なのだろうか」「この書き手は許されるのだろうか」と、不安に思うでしょう。
むしろ不安にさせるなにかを含んでいるからこそ、読み手は興味をそそられるのです。
書き手はこのダイナミクスを逆手にとるわけですね。
決しておすすめはしませんが、いわゆる”炎上商法”もそのうちのひとつです。
あえて過激な表現を使うことで、周囲の関心をぐっと引き寄せる。
そのぶん激しい批判にさらされるにしても、「認知されないよりはマシ」といったところでしょう。
まさに『悪名は無名に勝る』ですね。
注目してもらうことのみを目的にするのなら、刺さるべき「トゲ」や引っかかるべき「カド」を文章に盛りこむのはとても効果的です。
「攻めの姿勢」と「伴う痛み」
わざわざ文章を書いて発信するわけですから、その時点で受身ではいられなくなります。
しかも文章に危うさをもたらしたり、トゲやカドを含ませたりするとなれば、なおさらです。
このとき書き手は、いわば「攻め」の姿勢をとることになります。
どんなことに攻めこむのかは書き手次第ですが、おそらくその先には戦いや挑戦が待っているでしょう。
なぜなら、前述したように、攻める書き手はなんらかのリスクを背負うからです。
炎上商法の例からもわかるように、過激な表現を用いたときにはかならず、相応の痛みを伴うでしょう。
ですから攻めの姿勢をとる書き手は、自分で放った言葉の強さと同等か、もしくはそれ以上の批判を引き受けることになるのです。
書き手が刺激の強い言葉を選ぶとしたら、世間のリアクションも覚悟しなければなりません。
『悪名は無名に勝る』に沿ったアプローチは、ある種、”劇薬”のような働きをします。
実感する効果と、そこに伴う痛みについて、書き手はバランスをとらなければなりません。
事態を収拾できる筋書きをもっているか、そこに至るまでに自分自身が耐えられるかなど、徹底的にシミュレーションをしましょう。
「悪名」の部分だけが浸透してしまえばその先のブランディングにも影響するため、慎重になるべきです。
単なる思いつきで劇薬に手をつけることのないよう、注意しましょう。
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