敬意を散りばめない
執筆において悩ましいのは、敬語や謙譲語の扱いです。
目上の相手に宛てた手紙など、あきらかに敬意を示す必要があるとき。
このような場合は、当然ながら、正しい敬語や謙譲語、尊敬語を使うべきですね。
意外にも書き手が迷ってしまうのは、内容として取りあげた対象に敬意を示す場合です。
例を見ながら考えていきましょう。
被災地域では、定期的にゴミ拾いが行われている。
この日、ボランティアとして参加されていた三十代の女性にお話を聞いた。
女性は、「この活動は単なるエゴだと思われるかもしれない。それでも、自分が出来ることを精一杯やりたい」と、力強くおっしゃっていた。
インタビューした女性に対する敬意が、いたるところに散りばめられていますね。
このように書きたくなる気持ちはよくわかります。
しかし、あまりにも丁寧すぎて、まわりくどく伝わってしまう印象があります。
敬う表現を抑えながら、書き直してみましょう。
被災地域では、定期的にゴミ拾いが行われている。
この日、ボランティアとして参加していた三十代の女性に話を聞いた。
女性は、「この活動は単なるエゴなのかもしれない。それでも、自分が出来ることを精一杯やりたい」と力強く話した。
原文に比べれば、こちらのほうが読みやすいですね。
例に挙げたように、敬語や謙譲語、尊敬語を使いすぎると、文意が読み取りづらくなるのです。
文章の質を上げるにあたって、いきすぎた敬意は逆効果といえます。
もちろん、敬意をもって書くことを忘れてはいけません。
丁寧な言葉を使わないことに抵抗がある場合には、ひとつかふたつ、織りこんでみるのも良いでしょう。
被災地域では、定期的にゴミ拾いが行われている。
この日、ボランティアとして参加していた三十代の女性にお話を聞いた。
女性は、「この活動は単なるエゴなのかもしれない。それでも、自分が出来ることを精一杯やりたい」と力強く話した。
ひとつかふたつであれば、自然に読むことができます。
むしろ、こちらのほうが書き手としても気持ちが良いですね。
つまり、敬意を示すときに、過度な丁寧さは必要ないのです。
丁寧さを無作為に散りばめるのでは、文章がまとまりづらくなり、読み手に伝わらなくなってしまいます。
なにより、書き手が敬意をもっていれば、その気持ちが文章全体に滲んでくるはずです。
内容として取りあげた対象への敬意は、執筆において忘れてはならない大切な気持ちです。
その気持ちをコントロールしながら、適切に文章へと落としこみましょう。
■ 参考
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