元号で区切られる時間
平成が幕を閉じ、令和の時代が始まりました。
今日という日だからこそ、元号について「書き手らしい観点」に寄せながら考えてみます。
とくに注目したいのは、元号で区切られる時間です。
元号にまつわる歴史・文化的な価値はもとより、区切られる時間間隔は日本特有のもので、他の国にはありません。
時代を総括する類の本がたくさん出版されたことからもわかるように、元号は私たちに一定のタイムスパンを与えます。
これは「時代そのもの」を区切った象徴的なもので、世代や年代よりも大まかでざっくりとした時間です。
たとえば「昭和」という2文字を見たとき、頭にどのような情景が浮かぶでしょうか。
戦争のように印象的な出来事はもちろん、当時の工業製品や人々の様子、空気感や雰囲気まで、漠然とイメージすることができますね。
書き手にとって、この感覚がとても重要です。
「時代」のように大きな物事を考えるときは、細かな要素にこだわってはいけません。
点と点を線で結び、浮かび上がった面で考えるのです。
図で表してみましょう。
人、物、事。
点となったそれぞれが線で結びついたとき、面が出来上がりますね。
図で示したように、空気感や雰囲気などのあいまいなものは、人・物・事の関係性から浮かび上がります。
このような「あいまいな何か」が見えているかどうかで、書き手の在り方が大きく変わってきます。
「難しいことは考えず、この瞬間を生きる」といったやり方を否定するわけではありません。
しかし、今なお語りつがれる文学者たちは、この「あいまいな何か」が見えていたでしょう。
だからこそ、現代においても語りつがれているのであって、そこに文学的価値が認められるのです。
元号で区切られた時間を生きている私たちは、ほとんど自動的に「あいまいな何か」を把握できる力をもっています。
活かすかどうかは書き手次第ですが、創作はもちろん、コラムやブログ記事、何事においても適用させることができる感覚です。
『文章の鬼』としては、大きな規模で物事を表現できる書き手を応援したいですね。
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