【文章のネタ】きっかけは「なぜ」があればいい【疑問をもつ】
文章を書くときに重要なのは、物事に対して「なぜ」と思えることです。
「なぜ」と疑問をもつことは、そのまま執筆のきっかけになります。
文章のネタを起こしたり、内容を膨らませたりと、さまざまな効用があります。
今回はこの「なぜ」について深く考えていきましょう。
「なぜ」という心がまえ
年齢を重ねていくうちに「知らないこと」が少なくなります。
人生経験を積むことで、知識や情報の引き出しは多くなっていくのです。
書き手として活動していると、引き出しの数は人よりも多くなる傾向にあります。
おそらく「読書量」や「アウトプットの機会」が関係しているのでしょう。
たとえ薄く広い知識だったとしても、皆が知らないことを知っていたり、より深く理解していたりするのです。
しかしその状況に甘んじていると、書き手としての成長は止まってしまうでしょう。
物事に対して「なぜ」と思う心がまえは、常にもっていなければならないのです。
「知っているふり」や「興味がないふり」で自己防衛してしまうと、書き手自身がなにも得られず、読み手になにかを提供することもできません。
子どもから学ぶ
子どもには、「質問期」といわれる時期があります。
通称では「なぜなぜ期」とも呼ばれていますね。
子どもは成長していく過程で、さまざまな物事に疑問をもちます。
その答えが知りたくて、「なんで?」「どうして?」といったように大人に答えを求めるわけです。
子どもの知的好奇心や学習意欲が刺激される感覚が重要です。
書き手として、大いに見習うべき部分ですね。
「なぜ」が文章のきっかけとなる
たとえば子どもの頭に「なんで眉毛が生えてるの?」という疑問が浮かんだとしましょう。
多くの大人にとって眉毛は「生えていて当たり前のもの」ですから、その存在意義に疑問すら浮かばないはずです。
眉毛が生えている理由を子どもから聞かれたとき、大人として的確に答えられるでしょうか。
実際、眉毛にはさまざまな役割があります。
● おでこから流れてくる汗が目に入らないようにするため
● 雨水・ほこり・小さなゴミが目に入ることを防ぐため
● コミュニケーションをとるときに表情を伝えやすくするため
眉毛が生えている理由や存在意義について、大人として即座に答えられるかはまた別の問題です。
ただし書き手として、これを冷笑的に見てはいけません。
「なぜ」でもたらされる内容は、文章を書くきっかけになるからです。
これをどんどん掘り下げていけば、奥の深さを実感することでしょう。
それは、読み手にとっても有益な情報となるはずです。
当たり前とされていることを疑ったり、不思議に思ったりすることが、書き手には必要です。
知らないことがあれば調べるべきでしょうし、わからないことがあれば理解するよう努めるべきです。
子どものような知的好奇心や学習意欲をもって執筆しましょう。
■ 参考
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