誰かの表現を好きになる
今回は、書き手としての読書について考えます。
読書、つまり文章を読むことは、たくさんのエネルギーを消費する作業です。
音楽を聴いたり、映画を観たりする場合とは違い、読み手となる自分が能動的にアプローチする必要があります。
誰かの書いた文章を読むときは、書き手としてどのような心がまえで向き合うべきでしょうか。
今回提案したいのは、たとえどんな内容であったとしても好きになるよう努力することです。
なかには、「自分とは合わない」と感じるような内容もあるでしょう。
それでも前向きに、参考になる部分を積極的に取り入れようとする姿勢が重要なのです。
もっとも悪いパターンは、冷笑的な態度をとることです。
書き手として活動していると、なにかと勘違いしやすい状況に陥ります。
マネタイズに成功した経験があったり、多くの人に読んでもらえる実感があったりすると、文章に自信がもてます。
その自身が過信へと変わってしまった場合、マイナスポイントを探すように本と向き合うことになります。
内容に対して、「つまらない」とか「下手くそだ」とか、あいまいな言葉で片づけてしまうのです。
もちろん、真っ当な批判はあって当然です。
書かれている内容や書き手同士のスタンスの違いによって、好みが分かれたり、衝突が起こったりするのは当然でしょう。
しかし冷笑的な態度をとって切り捨てるように批判すると、そこからなにも学べません。
書き手として学びながら読むためには、良いところと悪いところを並べた上で、総合的に評価するべきなのです。
書くことに対して真剣に取り組んでいる以上、自分が読み手となったときには、その本を冷静に判断しなければなりません。
内容はもとより、前向きな態度で向き合っていれば、言葉の使い方や構成の型、テーマの扱い方など、自分の執筆にプラスになることをも取り入れられます。
だからこそ、好きになるよう努力することが重要で、これが読書の大前提になるのです。
一冊の本を精読する場合でも、たくさんの本を乱読する場合でも、これは同じです。
さらにいえば、誰かが表現したものに出会ったとき、すべての場合で共通させるべきアプローチなのです。
人目に触れられる状態になったものは、なにかしらの積み重ねが背景にあります。
日ごろからその積み重ねを経験している書き手だからこそ、リスペクトを忘れることなく文章と向き合っていきましょう。
■ 参考
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