【本質】「文章の素」となるものから書く【価値】
長文を書いたり、書類作成に追われりすることがあります。
そのとき書き手は、文章の「本質」や「価値」を忘れがちです。
長い文章にこだわったり、体裁を整えたりすることに重きをおくのではなく、「文章の素」を見直してみましょう。
「文章の素」を忘れない
いくつかのアプローチによって、文章量はいくらでも増やすことができます。
「りんご」をテーマに書く
● 下位概念で掘り下げる
味、香り、成分など
● 上位概念で広げる
果物、色味、形状など
● 連想でつなげる
青森、椎名林檎、iPhoneなど
仮に上記の要素すべてを文章にするとしたら、相当な文字数になるでしょう。
考え方を工夫しながらシステマチックに構築すれば、文章量を増やすことはさほど難しくありません。
しかしそれはあくまでひとつの方法論であって、文章の本質ではないのです。
重要なのは、書き手が「りんご」について書こうと思ったその気持ちです。
文章の本質的な価値は、ひとつの物事を文章にする動機や理由にあるのです。
なぜならそれは紛れもなく「文章の素」であり、筆を進める原動力にも、文章の質を左右する要因にもなり得るからです。
方法論に頼ることを否定するわけではありませんが、「文章の素」を忘れてはならないのです。
文章は「中身」が大事
文章を書くにあたって、体裁と中身、どちらを重視すべきかを考えてみましょう。
私なら、しばらく悩みながらも結局は「中身」と答えると思います。
「ママ、おいしいごはんいつもありがとう、パパ、だいすきだよ」
子どもが書いた手紙を受け取った親は、流れる涙を止めることができなくなります。
親からすれば「文章の長さ」や「文法上の間違い」などは、一切関係ありません。
「中身」を読むことで、懸命に書いたであろうその背景や、気持ちが伝わるからです。
「文章の素」から価値を生み出す
より実践的に理解するために、「企画書」で考えてみましょう。
たとえきれいにまとまった企画書であっても、そこに「中身」がなければ意味がありません。
取るに足らない企画に注力し、体裁を整えたところで、企画書として成り立つわけではないのです。
前項にあった「親への気持ち」と同様、「おもしろい企画」はまさに文章の素ですね。
これが原動力となり、文章は脈々と紡がれ、そして価値をもって読み手に届くわけです。
長く書いたり、そこで体裁を整えたりするのは一向にかまいません。
しかし、これほど重要な文章の素を、ないがしろにすることのないようにしましょう。
■ 参考
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