「実際に起きた悪い出来事」を扱うとき【書き手の偏り】【強烈なリアクション】
小説では、実際に起きた事件や事故、あるいは社会問題を扱う場合があります。
ひとつの要素として取り入れる場合もあれば、物語の骨格として作品全体を支える場合もあります。
あるいは、風刺小説のように隠れたテーマとして扱う場合もあるでしょう。
これらを扱い、作品に描くとき、書き手はどのようなことに気を付けるべきでしょうか。
「傷つく読み手」がいる
あらためて確認しておきますが、扱うのは「実際に起きた”悪い出来事”」です。
そこには被害者や犠牲者がいるはずですね。
創作でありながらも現実の出来事を扱うのであれば、その方々を意識しなければなりません。
なぜなら、あなたの作品によって「傷つく読み手」が出てくるかもしれないからです。
被害や犠牲をはらんだテーマは、その扱いがデリケートです。
そこに描かれた物事や、人間の在り様を受け取った誰かが、心に傷を負ってしまったり、古傷をえぐられてしまうかもしれない。
あるいは、その作品から書き手が得られる「利益」に不満をもつ人もいるでしょう。
書き手のやり方や狙いにもよりますが、徹底的に配慮する必要もあれば、あえて角を立てることもあります。
どの方向で進めるにしても、書き手として「傷つく読み手」に対してセンシティブに考える必要があります。
「偏り」が生じる
たとえば「女性差別を批判する作品」を書くとしましょう。
物語と向き合っている書き手は、自分なりの「正義」に従って筆をとっているはずです。
しかし作品全体の比重が「男性批判」に傾いてしまえば、その内容は「逆差別」の形態をとることになるでしょう。
恐ろしいことに、「正義」の下に作品を仕上げようとする書き手は、その偏りに気づきにくいのです。
もちろん、現実にある問題を扱うときには、ある程度の偏りが生じるのは致し方のない部分もあります。
書き手が意図的に、読み手にわかりやすいように「偏り」を作り出す場合もあるでしょう。
注意すべきは、書き手が「自分自身が公平公正な存在だ」と錯覚することです。
それはほとんどの場合で自己欺瞞でしかなく、読み手を傷つける要因になってしまいます。
強烈なリアクションがある
書き手がいくら配慮しても、テーマとして扱った時点で「反感」が予想される場合があります。
たとえば「宗教団体によるテロ事件」を扱うとしましょう。
どれだけケアしようとも、書き手本人が被害者でない限り、不適切な表現を使わない保証はありません。
そうなれば、被害者の感情を逆なでしてしまう可能性は大きいでしょう。
ここに「強烈なリアクション」があることを、書き手は想定しておきましょう。
頭の片隅にこれをおくことで、セルフチェックしながら書くことができます。
あまりおすすめしませんが、誰かを厳しく批判したい場合は、その強度を高めることにもつながるでしょう。
覚悟が必要
とはいえ「デリケートなテーマを取り入れてはいけない」という決まりはありません。
たとえ傷つく読み手がいたとしても、書くことを選ぶ場合だって往々にしてあります。
その裏には、書き手のゆずれない信条や、社会的に背負っている責任など、さまざまな事情があるのでしょう。
書き手にとってそのテーマが重要だった場合、つまり「女性差別」や「宗教団体によるテロ事件」などをどうしても扱いたい場合、書き手は描かざるを得ないわけです。
描くことを決めた場合、覚悟が必要です。
批判を受ける覚悟であったり、社会と対決する覚悟であったりと、とにかく腹を括らなければなりません。
その作品に「商業的な成功」を見込んでいるのなら、なおさらです。
「実際に起きた悪い出来事」を扱う書き手は、強い覚悟をもって物語を描きましょう。
■ 参考
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