【正しくない憶測】同一視問題を乗りこえる【3つのポイント】
「文章の内容」と「自分自身」が、正しくない導線で結びつけられる。
読み手全員ではないにしろ、このときの「正しくない憶測」は書き手を苦しめる要因となります。
今回はこれを乗りこえるための策を考えていきましょう。
ここでは3つのポイントを、ご紹介します。
1.「正しくない憶測」を想定する
重厚な文体を使っているからといって、書き手の人柄が堅苦しいとは限りません。
筆致が淡々としているからといって、性格まで淡々としているとは言い切れません。
しかしながら、文章には裏読みや深読みがつきものです。
文章の書き方から、書き手本人が勘違いされたり、誤解されたりする状況はしばしば起こります。
読み手からすれば、書き手を感じる糸口は”文章”しかないわけですから、「正しくない憶測」はいわば書き手の宿命のようなものですね。
たとえその印象が書き手にとって不本意なものであったとしても、払拭するのは困難といえます。
だからこそ書き手は、「正しくない憶測」を想定しておくことが大切です。
「割り切り」や「あきらめ」に近いかもしれませんが、書き手の精神的な負担を軽減するためにも必要な心がまえです。
2.書く力に変換する
ただし、無防備に受け容れるわけではありません。
なにを書いても「正しくない憶測」を立てられるのなら、思いきって「書く力」に変換しましょう。
根本的なところでいえば、自分の文章を客観的・俯瞰的に捉えることができるようになります。
文章の内容を細かく精査したり、伝え方を工夫したりといった作業は、書き手が「正しくない憶測」を想定しておくことで実現します。
そのとき思い浮かべるのは、現実の読み手というよりも、自分のなかに潜んでいる”仮想の読み手”といったほうが正しいでしょう。
裏を返せば、文章の質を向上させるには「正しくない側側」を想定することが必須といえますね。
仮想の読み手が偏屈で意地悪でクレーマー気質であるほど、それに伴って文章の強度は上がっていきます。
これを最大限、文章に活用しましょう。
3.テクニカルに利用する
推理小説などでは”叙述トリック”が用いられることがあります。
この手法は、まさに読み手側の「正しくない憶測」を有効活用している例です。
読み手の「誤解」「誤認」「勘違い」があるからこそ、意外性がもたらされるわけですね。
つまり「裏読み・深読みされる状況」、あるいは「文章の表層をそのままなぞられる状況」は、テクニカルに利用することができるのです。
「書き手⇔文章」の同一視問題においても同様に、意外性を作ることはできます。
たとえば書き手が「ゆるふわ系の女子」だったとすれば、あえて「かっちりとした文章」を書いてみる。
見た目どおりの「やわらかい文体」だったとしても、そこで「エグい内容」を扱ってみる。
このときの”おもしろみ”や”おかしみ”は、読み手の「裏読み」や「深読み」があるからこそ成立しています。
読み手にとっての入口が「文章→書き手」と前後してもかまいません。
そこになんらかのギャップが発生していれば、意外性をもたらすことはできます。
自分自身もしっかり客観・俯瞰できれば、意図的な文体操作で実現させることも不可能ではありません。
本来は好ましくないはずの「誤解」「誤認」「勘違い」を、テクニックとして有効に利用しましょう。
恐れるべきは「なにも書けなくなる状況」
不本意な印象付けは、書き手からするとたしかに大きな不安要素ではあります。
しかし、悲観的になる必要はありません。
本当に恐れるべきは、なにも書けなくなる状況です。
意味が淀みなく伝わるように書くためにも、「同一視問題」と向き合い、そして付き合っていくことが大切です。
「正しくない憶測」を想定することで、心の準備をしておく。
あるいはこれを逆手にとって、より良い文章を目指す。
書き手についてまわるであろうこの問題は、ひとつひとつ冷静に対処することが必要です。
きっと、この壁を乗りこえることができるでしょう。
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