文の「かたさ」はどこからくるのか
今回は、文章の「かたさ(堅さ)」について考えます。
多くの場合、このかたさは取り除いたほうがベターです。
もちろん「堅実な文章」を書くことが目的であれば、とくに気にする必要はありません。
しかしながら、そうでない場合もありますね。
例文を見てみましょう。
「理解」と「実感」には、多大な差異がある。
もしもこの文が「堅実な文章」を目的にしていなかった場合、どのような印象を受けるでしょうか。
読み手は、「堅苦しい文章」として読むことになるでしょう。
文の雰囲気をやわらかくするために、書きかえてみます。
「頭でわかる」のと「心で感じる」のでは、大きな違いがある。
まったく同じ意味でなかったとしても、書き手が伝えたい内容は原文と同じですね。
しかし、文から受ける印象はこれほどまでに変わります。
何が行われたのかというと、難しい表現を取り除いて書きかえたのです。
● 「理解」 ⇒ 「頭でわかる」
● 「実感」 ⇒ 「心で感じる」
● 「多大な差異」 ⇒ 「大きな違い」
ここが重要なポイントです。
文のかたさのほとんどは、漢語を使った表現がもたらします。
漢語とは、要するに「中国の言葉」ですね。
昔、中国から借りてきた言葉が、そのまま使われているわけです。
ここには、和製漢語も含まれます。
(例のなかでは、「実感」が和製漢語です)
このような表現は、単語ひとつでおおよその意味を伝えることができます。
そのため、書き手としては使いやすいわけですね。
もちろん、「理解」のように、漢語のなかにも一般的な表現もあることから、絶対に使ってはいけない言葉ではありません。
ただし、これに頼りきってしまうと、原文のような堅苦しい文章になってしまいます。
書き手は、文章全体のバランスを見なければなりません。
そして、読み手にどのような印象を与えるかをイメージするのです。
文章に堅苦しさがあると感じた場合、漢語や和製漢語、その他の難しい表現を見直しましょう。
■ 参考
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません