「れる」「られる」で逃げない
助動詞「れる」「られる」には、4つの用法があります。
● 受身(~される)
例:みんなに笑われる。
● 可能(~することができる)
例:これはすぐに覚えられる。
● 自発(意図せずとも、そうなる)
例:彼女のことが思い出される。
● 尊敬(人を敬う)
例:天皇陛下が外国に行かれる。
下記の文に「見る」+「れる」「られる」の表現が使われていますが、どの用法を用いたものでしょうか。
原文
顔見知りの犯行と見られます。
誰かがそう思ったのであれば、受身
顔見知りの犯行とも考えられるのであれば、可能。
このように判断せざるをえないのであれば、自発。
尊敬ではないことは明らかですが、解釈によっては上記の3つすべてに当てはまります。
つまり「れる」「られる」は、あいまいな表現なのです。
改善文
警察は、顔見知りの犯行と見て捜査をすすめています。
あいまいな表現を避けるには、主語を明確にすることが先決です。
この場合は「警察」という主語を加えることで、「れる」「られる」を使う必要がなくなりました。
こうすることで、原文では漠然とした印象だったものが、情報として伝えられる文章になったのです。
文末に「れる」「られる」を使えば、内容の客観性を装うことができます。
あたかも状況を判断した上での考察を伝えるような、堅実なイメージを与えることができます。
言い切ることができない文章では、つい使ってしまいがちです。
しかしそれは、責任を回避するための逃げ道でしかないのです。
説得力があるようにみせかけた文章に価値はありません。
「れる」「られる」に逃げないようにしましょう。
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