「思う」「考える」「感じる」を使わずに書く
すっきりとした文章を書くには、下記の3語を使わないことが望ましいとされています。
「思う」「考える」「感じる」
国語の授業で習った人もいるかもしれませんね。
「~と思います」を使わないように書きましょう、と。
今一度、このように指導した先生の意図を汲みとってみましょう。
一言で表せば、「文末表現を安易なものにしてはいけない」ということです。
例文を見ながら考えていきましょう。
英語の勉強をしようと思った。
参考書を取り出そうと考えたとき、テレビで英語の教育番組が始まった。
勉強を後押ししてくれているように感じた。
この文には、「思う」「考える」「感じる」が盛り込まれていますね。
一読すると、文章として破綻しているところはないように思います。
ただし、良し悪しは別にして、とても主観的な文章であることは明白です。
終始、書き手の意思が反映されているような書き方がなされています。
裏を返せば、客観性がなさすぎるともいえますね。
この主観性は、まさに「思う」「考える」「感じる」の存在によってもたらされているのです。
安易にこれらの文末表現を使ってしまうと、客観性に欠ける文章になってしまいます。
ここで、この3語を使わずに書いてみましょう。
英語の勉強をするため、参考書を取り出そうとした。
そのとき、テレビで英語の教育番組が始まった。
勉強を後押ししてくれているようだった。
いかがでしょうか。
同じ内容を書くにしても、主観的な表現をなくせば印象が違ってきますね。
客観性が増すのはもちろんのこと、どこか凛とした大人な雰囲気を感じさせます。
どのような書き換えが行われたかを比較しましょう。
● 思う(思った)
原文 :「英語の勉強をしようと思った」
改善文:「英語の勉強をするため」
● 考える(考えた)
原文 :「英語の参考書を取り出そうと考えた」
改善文:「英語の参考書を取り出そうとした」
● 感じる(感じた)
原文 :「勉強を後押ししてくれているように感じた」
改善文:「勉強を後押ししてくれているようだった」
ここまで、「思う」「考える」「感じる」を使わない書き方をご紹介してきました。
これらの表現を使った文章はよく目にしますし、一概に「悪いもの」だと決めつけたいわけではありません。
しかし、文末にこの3語を使うクセはつけないほうが良いです。
かんたんに締めることができるため、書き手としては楽ですが、表現の幅が狭まることは間違いないからです。
先に触れた、主観的・客観的の区別の部分ですね。
「思う」「考える」「感じる」に頼り過ぎないようにしましょう。
■ 参考
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