他者に多くを語らせない
会話文は、説明文としての役割を果たすこともあります。
たとえば、他者が主人公のことを語る場合です。
主人公以外の発信元から情報を提示することで、「自分語り」を防ぐことができます。
書き手としては、楽に情報提供できる手法ですね。
しかしながら、これに頼ってはいけません。
過度な情報提供は、会話文の体裁を崩す要因になります。
例をみてみましょう。
例
「小学校からの付き合いだし、タカシくんのことはよくわかってるよ。
サッカーをやっていたことも、勉強が得意じゃなかったことも、誰よりも優しい気持ちをもってるってことも。
中学生のときにご両親が離婚して、家計を助けるために新聞配達のアルバイトをしていたことだって知ってるんだから」
物語を進める上で、会話に何かしらの情報が入ることは避けられません。
しかしこの会話文からは、ぎこちない印象を受けたのではないでしょうか。
会話としてはあまりにも不自然で、「わざとらしさ」も感じ取れます。
一度、詰め込まれた情報をみてみましょう。
例
「小学校からの付き合いだし、タカシくんのことはよくわかってるよ。
サッカーをやっていたことも、勉強が得意じゃなかったことも、誰よりも優しい気持ちをもってるってことも。
中学生のときにご両親が離婚して、家計を助けるために新聞配達のアルバイトをしていたことだって知ってるんだから」
青字で書いた部分が、主人公に関する情報です。
話し手との関係や主人公の名前、嗜好や性格、苦労も含めたそれまでの経験を、洗いざらい話しています。
つまりこの会話文は、説明文の要素が強すぎるのです。
実際これらの情報は、説明文として書けば事足りるものばかりであって、会話文に盛り込む必要があるのかを考えると疑問が残ります。
どうせなら、このような発言をさせたほうが有意義ではないでしょうか。
例
「今だからいうけど、あたし、タカシくんのこと好きだったんだ」
この恋愛要素を発展させるかどうかは別として、話し手が主人公のことをよく知っている理由にはなりますね。
先の例文に出た内容を後で小出しにすることもできて、物語の可能性がぐんと広がります。
なにより、こちらのほうが人間味を感じさせる文面ではないでしょうか。
登場人物は本来、書き手の事情に合わせた道具ではなく、生きた人間として扱うべきです。
多少は物語との都合を考えることはあっても、最小限におさえるよう心がけることが大切です。
会話に情報を盛り込むとき、こうしたバランス感覚をもって行わなければなりません。
書き手が慎重になることで、わざとらしい会話文を避けることができるでしょう。
■ 参考
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