「理解させること」と「感じさせること」
料理の美味しさを「説明する」こと。
美味しい料理を「作って食べさせる」こと。
この2つは、まるで違っていますね。
書き手として必要なのは後者で、美味しい料理を「作って食べさせる」ことです。
実際の執筆になぞらえて、具体的に考えていきましょう。
書き手が、物語のヒロインを魅力的に描きたかったとします。
そこで、このような表現で魅力を伝えようとしました。
「彼女は美しい」
「誰よりも可愛らしい」
「その綺麗な瞳に……」
このような表現は、おすすめしません。
なぜなら、これらは単なる説明でしかないからです。
いいかえれば、書き手の説明によって「強制的に規定された魅力」ですね。
読み手からすれば、「この登場人物は美しいんだな」と理解するしかないのです。
このとき形成されたヒロインの人物像は、読み手の心で感じた魅力とはいえません。
「理解させること」と「感じさせること」は、その性質がまったく異なるのです。
心で感じさせるために、書き手はなにをするべきでしょうか。
この場合、まずは論理を逆にして考えましょう。
最低限、直接の説明は避けるべきですね。
ヒロインの人物像を「魅力的だ」と言葉で説明すると、かえって伝わりません。
だからこそ書き手は、明確に言語化せずにその魅力を伝えなければならないのです。
方法はさまざまですが、もっともわかりやすいのは「場面」をもって表現することです。
ヒロインが魅力的に映る(と思われる)状況を重ねていくと、その人物像が定まってきます。
⇒ これは、書き手が「料理を作っている段階」ですね。
すると、物語から「既成事実」のようなものが浮きあがってくるのです。
⇒ これが料理のもつ「美味しさ」です。
「ヒロイン=魅力的な人物」という既成事実に読み手が同調すれば、心で感じさせることに成功するでしょう。
⇒ 「料理の美味しさ」を感じるのは、この瞬間です。
どのようなジャンルの作品であっても、書き手は読み手の心に響く小説を目標にすべきです。
そのためにもまずは、「理解させること」と「感じさせること」の違いを把握しておくことが先決です。
理解させることにこだわってしまうと、表層にしか伝わらない物語が出来上がります。
「美味しい料理を作って食べさせる」ようなイメージで、心に響く作品を目指して書きましょう。
■ 参考
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