夢について
今回は、小説で扱う「夢」について考えます。
この記事では、夢が作品の題材となっている場合や、夢をみる行為がなんらかのトリガーになる場合は除外します。
これらは物語に作用する要素として、具体的な目的をもっているからです。
問題なのは、「夢」をもって主人公の心情を描写する場合です。
結論からいえば、夢を利用して主人公の意識を描くことはおすすめできません。
小説は、なんでも好きなように書くことができます。
書き手は「大きな自由」を与えられているからこそ、物語の世界での整合性をとることに責任をもつわけですね。
そこに「夢」を放り込むと、整合性をとることから逸脱してしまう可能性があります。
例をみながら考えていきましょう。
例
● 主人公には仲の良い女の子がいる
● ある晩、彼女と一緒にいる夢をみた
● 主人公は「彼女に恋をしている自分」に気がついた
展開としてみると、決して不自然ではありません。
現実でも、このようなことは起こり得るでしょう。
ただし、書き手が安易に “手法”として夢を用いることは控えるべきです。
夢はそうかんたんに扱えるものではないのです。
現実の世界で考えてみましょう。
夢をみるタイミングが不安定であることはもちろん、夢の内容も不可解であることが多いですね。
一般的に、夢はコントロールできないものなのです。
先に挙げた例では、主人公が「ほど良いタイミング」で「仲の良い女の子」の夢をみました。
果たして書き手は、これが「自分にとって都合の良い展開ではない」と証明できるのでしょうか。
言い方を変えれば、「夢をみること」は物語から求められたものではなく、そこに必然性がない可能性があるわけです。
書き手はこのことをわきまえなければなりません。
読み手の立場で考えると、さらにわかりやすいでしょう。
夢を基盤とした描写があれば、空想の物語に「さらなる空想」を与えられることになります。
前提として「夢」は理解不能であるはずなのに、そこに書き手の意図が見え隠れするようでは、読み手はしらけてしまいますね。
それに付き合わなければならない読み手が身構えてしまうのも、無理はないのです。
物語に「夢」を取り入れる手法は、とても大変な作業なのです。
「ご都合主義で構築したわけではない」と読み手に示すことは、非常に難しいでしょう。
とくに、「夢」で主人公の心情や意識を描写する場合は要注意です。
書き手の緻密な計算があって取り入れる場合は別として、安易に夢を用いることは控えましょう。
■ 参考
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