「時代の影響」を自覚する
私たちは皆、時代の影響を受けています。
音楽やファッションのような、文化的な物事はわかりやすいですね。
新しいものと古いもの活発に代謝していく過程で、時代によってトレンド(流行)が生じます。
それだけでなく、社会で生きていくための思考・行動規範すらも、「時代」という大きな存在に内包されています
価値観やライフスタイルといった根底の部分でさえ、本当の意味での「個」はないがしろにされているともいえます。
このような時代の影響をもっとも身近に感じられるのは、言葉です。
言葉こそ、時代によってなめらかに変化し続けます。
つまり、言葉から成り立っている小説は、時代の影響を受けやすいのです。
彼は神妙な面持ちで言い放った。
「あいつ、マジうぜぇ~」
地の文が整然としているのに対して、セリフはくだけた表現になっています。
時代の影響をもろに受けて、文体にギャップが生じているのです。
当然、読み手は違和感を覚えるでしょう。
小説は自由ですから、良し悪しを明確に判断したいわけではありません。
重要なポイントは、このギャップを自覚しているかどうかです。
書き手が意図的に文体のギャップを作ったのであれば、良しとされるでしょう。
何かしらの目的を達成するために、文体を用いて読み手に違和感を与えた場合、ですね。
これはテクニックのひとつとして、もたらされる効果が計算されたものです。
しかし時代の影響を受けるがままに書かれた文体のギャップは、単なるミスといわざるを得ません。
時代の影響によって生じる、文体のギャップ。
書き手はこれを自覚した上で、操らなければならないのです。
地の文に合わせるほうが比較的かんたんだとは思いますが、あまり意識しすぎるとセリフが不自然になってしまいます。
一方で、セリフに合わせるとなると、話し言葉中心の筆致になります。
小説の品格が落ち、作品の雰囲気を構築しづらくなってしまうのです。
小説は、こうした制約のなかで書かれるものです。
書き手は、時代の影響を見据えながら、ギャップに対してバランスをとりましょう。
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