虚飾と判断したときは、迷わず削除する
執筆は、自分を大きく見せるにあたって最適な環境が整っています。
誰かと向き合って話すわけではないため、原則、相手の応答がありません。
それだけでなく、自分が何かを発信するときも、その内容を吟味する時間があります。
多少なりとも誇張した表現のほうが、説得力が増し、良い文章になったような気がしてくるのです。
しかしそのほとんどは文章にとっては不要で、むしろ「無いほうがわかりやすい表現」であることも少なくありません。
このように不必要に誇張した表現は、「虚飾」と呼ばれています。
文章において、原則、虚飾が良い効果をもたらすことはありません。
例を見てみましょう。
憲法改正に向けた動きが慌ただしくなってきた。
○○党の××衆議院議員が、憲法改正に一定の理解を示しているようだ。
××議員は、言わずと知れた、左派の敏腕政治家だ。
今後、改憲派と護憲派の争いは、激化の一途を辿るだろう。
青字で示した部分が、虚飾を使った表現です。
内容を読んだとき、やけに堅い印象を受けたのではないでしょうか。
書かれていることを噛みくだいて、再構築してみましょう。
おおよそ、このような内容になっています。
○○党の××衆議院議員が、憲法改正に一定の理解を示しているようだ。
左派として知られる××議員の発言は、今後、物議をかもすだろう。
虚飾と判断されそうな表現は、二行目の終わり、「物議をかもす」の部分ですね。
しかしこの程度の表現であれば、違和感なく読めるのではないでしょうか。
多少は飾っているような印象もありますが、結果として、この改善文では虚飾と判断しなかったというわけです。
そのさじ加減は、書き手の裁量にゆだねられます。
ここで重要なポイントです。
書き手が「虚飾かもしれない」と疑った場合、その文言は迷いなく削除すべきです。
文書の種類によって、適切な表現は変わってきます。
そのため、虚飾がどうかの判断自体がとても難しいものになるでしょう。
なかには、書き手としてドンピシャな表現があって、それを軸に執筆を進める場合もあるかもしれませんね。
ただし、少しでも「見栄を張っているかもしれない」と疑うようであれば、その表現は虚飾である確立が高いです。
書き手がそうは思っていなくとも、読み手が客観的な立場から虚飾と判断することもあります。
そうなってしまえば、その文章は読み手に不信感を与え、説得力を失うことになります。
虚飾であることが疑わしい文言は、勇気をもって削除しましょう。
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