自己表現として書く文章
かつて、私は文章に救われました。
それは良い本に巡り会えたとか、特定の作家にコミットとしたとか、そういうことじゃありません。
文章を書き、表現することで、自分の存在を世の中に開くことができたのです。
執筆というアクションを起こせば、なんらかのリアクションに触れることができます。
賞賛や批判のように言語化されたものから、読者の数や報酬のように数値化されたものまで、さまざまな反応が待っているのです。
リアクションの内容はどうであれ、執筆が「他者との関わり」をもたらすことは間違いありません。
難しい言い方をすれば、執筆活動を通じて「自分の存在」が規定され、社会から認定されるのです。
この一連の流れは、私にとって非常に重要でした。
書くことで表現していなければ、いびつな感情を蓄えたまま、自分の存在を消費していたことでしょう。
もちろん、自己救済のために文章があるとはいいません。
私自身、救われるために書いているわけではありません。
1円でもお金が発生するのなら「仕事」として取り組みますし、書く文章はいつだって「読者」を見据えています。
しかし、表現したものが届くプロセスや、全体のサイクルによって、結果的に私が救われていることは否定できないのです。
勘違いしてほしくないのは、文章を書くことを「至高の表現方法」としたいわけではないということ。
自分自身を表現する方法は、人によって違っていて当然です。
趣味や仕事が、自己表現の機会になっている人もいるでしょう。
家族や恋人の関係性から自分の存在を実感することもあれば、宗教によって自分の存在を証明することだってあるでしょう。
「表現」に対応するものをそれぞれがもっていれば、その道を進んでいけば良いと思います。
とはいえ現状、「何もない」と感じている人もいるはずです。
もしもあなたに「何もない」のであれば、私は文章を書くことを強くおすすめしたいです。
文章を書くことは、紙とペンさえあれば、今すぐにでも実践できます。
原稿用紙と封筒と切手を買えば、書いた文章をどこかに応募することもできます。
そうでなくとも、携帯電話とネット環境があれば、自分自身を全世界に発信することだってできるのです。
趣味や仕事、人間関係や宗教から「自分」を見つけるよりも、圧倒的に低コストではないでしょうか。
大きなリスクを負うことなく、他人に迷惑をかけることもなく、自己表現できるのです。
私自身「文章の書き方」を知ったことにより、自分の存在が世の中に開いていきました。
これに出会わなければ、良くても「社会不適合者」、悪ければ「死んでいた」と思います。
今までろくに本を読んでこなかった私でも実現できたのですから、あなたにも自信をもっていただきたいです。
もちろん、無理強いするつもりも、強制するつもりもありません。
私はただ、あなたが望むであろう内容を考えながら、今後も情報を垂れ流していきます。
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