「笑いを考える」ことから得られる視点
小説は、ネガティブなものを受け入れられる表現形態です。
その良し悪しは別として、ネガティブな磁場のようなものは蔓延しています。
書き手は、「悲しい物語」や「感傷に浸れる物語」を書きがちです。
ただし「小説=ネガティブなもの」ではないはずです。
人を楽しませるために、笑いにコミットして書いた小説があっても良いのです。
ひとまずこの記事では、笑いを作るための方法論に言及しないことにします。
覚えていていただきたいのは、笑いを考えること自体が重要ということです。
仮に書き手が、「深刻な物語」を書くつもりでいたとします。
突飛なタイミングでもかまいませんので、あえて「笑い」を考えてみましょう。
「さっそうと歩いている主人公を転ばせたらどうなるんだろう?」
「シャワーから戻った彼女の脚に、びっしりすね毛が生えてたら?」
「デスクから立ち上がって怒鳴った上司が、盛大に屁をこいたら?」
すると書き手は、作品から距離をとることになります。
つまり、物語の在り方を俯瞰できるようになるわけですね。
笑いを考えれば、流れにまかせて散漫に執筆するのではなく、「書き手の視点」で物語を構築できるのです。
笑いを考えることは、書き手の視点を得るトリガーとして非常に効果的です。
なぜかというと、どんな書き手でも物語の外側から小説のことを考えられるからです。
小説で描かれやすい「悲しみ」「憎しみ」「怒り」などは、書き手の視点が主人公の心情の奥底に向かいがちです。
いわば「内側にもぐって掘り下げる」ような位置取りであって、かんたんには抜け出すことができません。
すると、最初から最後まで深刻なトーンを連続させることになり、平板な印象の作品になってしまいます。
「笑い」を通じて冷静な状態で物語を見つめることができれば、物語が「あらぬ方向」に脱線していくことも少なくなるでしょう。
味のしなくなったネガティブな磁場から、作品を脱却させるきっかけにもなります。
結果として「笑い」を作れなくてもかまいません。
不意に笑いを考えること自体が、あなたに書き手の視点をもたらします。
読み手を笑わせられるかどうかはさておき、「笑い」から書き手の視点をもつことが大切です。
物語が冗長になったと感じたときは、「笑いを考える」ことから修正や改善を試してみましょう。
■ 参考
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