【あいちトリエンナーレ2019】「尖った内容」が壁を乗り越えられるか【表現の不自由展・その後】
『表現の不自由展・その後』にまつわる騒動に触発され、この記事を書くことにしました。
あいちトリエンナーレ2019にて展覧されていましたが、あえなく中止となり、”悪い意味”で話題になりましたね。
私自身は門外漢なので、この件について非難・弁護できる立場ではありません。
ここでは参考文献を添えながら、「書き手としての私の考え」を書いていきます。
「表現の自由」には隠れたタブーがある
ご存知のとおり、「表現の自由」は憲法によって規定されています。
しかし実情として、そこには「3つのタブー」があるといわれています。
「表現の自由」に隠れた3つのタブー
1. 戦争犯罪の告発
2. 天皇および天皇制の批判
3. 差別問題
参考文献:森山誠一(2007年)『小説道場』小学館.
この内容を読んだ当時、記載された “3つのタブー” は自らの活動にうまくリンクしませんでした。
私にとってアクチュアルなものではなかったので、「大っぴらにならない教養」程度に捉えていたのです。
ただし、この内容に強い説得力を感じたことはよく覚えています。
なぜなら彼が、表現の自由を巡って殺されかけているからです。
『悪魔の飽食』から学ぶこと
この作品には、「731部隊」のことが描かれています。
少しでも731部隊のことを知っていれば、これがいかにデリケートな内容であるかを察することができるでしょう。
そして、前項に挙げたタブーに抵触する部分があるのも理解できるはずです。
実際この作品が世に出たあと、森山先生はさまざまな被害に遭われたそうです。
あまり詳しくは書きませんが、その被害とは「単なる嫌がらせ」というレベルではなかったようです。
数え切れないほどの殺害予告を受け、朝から晩まで警察が護衛し、外出するときは防弾チョッキを着用しなければならないほど緊迫した状況でした。
一旦は絶版になったものの、角川書店が再発行に踏み切り、3部作の完成にいたったそうです。
著者や出版社が大きな壁を乗り越えたからこそ、私たちが今この作品を読むことができるわけですね。
ここから、2つのことがわかります。
ひとつは「表現が元から自由ではなかった」ということ。
かんたんにいえば「やっても良いこと・良くないこと」があり、当然ながら「良くないことはやっちゃダメ」とされるのです。
『表現の不自由展・その後』では、その「良くないこと(タブー)」に触れてしまったというわけですね。
次に、タブーに触れたときの「対応」が重要ということ。
森山先生と角川書店は、命の危険にさらされながらも、それに屈しませんでした。
『表現の不自由展・その後』では、結果として中止に追い込まれたのです。
ここに大きな差が見えます。
批判を乗り越えなければならない
①「表現の自由」には、不文律のタブーがある
② 表現物が、そのタブーに引っかかった
③ 乗り越える or 引き下がる
表現する立場の人間は、時に「尖った内容」を発信することがあります。
③でどのような選択をするかによって、その表現物の価値はもちろん、発信者としての在り方が決まります。
自分の表現物に「配慮が足りなかった部分」を認めるのであれば、反省して謝罪するべきですね。
ただし、その表現物が「確固たる信念」をもって発信したものであれば、謝る必要はありません。
「批判を受けるであろうこと」
「賛否を巻き起こすであろうこと」
「傷つけるであろう相手がいること」
これらをわかった上で表現したのですから、勇気をもって乗り越えるべきです。
あいちトリエンナーレ2019には、展示物を巡って犯罪予告のようなものも届いたそうです。
セキュリティの都合をはじめ、さまざまな事情があったでしょうし、『表現の不自由展・その後』の中止は合理的な判断だったと思われます。
出版と芸術祭とでは事情がまったく異なるでしょうから、中止にいたった経緯については一概に非難できるものではありません。
しかし結果として、「壁を乗り越えられなかった」という事実は重く受け止めるべきだと思います。
壁を乗り越えられなかったことで、『表現の不自由展・その後』の存在意義がジャッジされることになるからです。
書き手として表現すること
書き手の立場に置きかえると、どのような文章であっても「一定の配慮」があって然るべきですね。
「表現の自由」を謳いつつ、「なんでも表現していいわけではない」のは考えてみれば当然のことです。
とはいえ、今後の私の執筆活動において「尖った内容」を発信することもあるでしょう。
そのときは書き手として、壁を乗り越えるための「覚悟」をもってやらなければなりません。
今回の騒動を安全なところから眺めながら、私はこの覚悟を学びました。
自らの命を危険にさらしてまでも「発信すべき」と思える内容に、いつの日か巡り会えたのなら。
私は、絶対に引き下がらないことにします。
この件を通じて、そう強く感じました。
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