【Twitter】フォロワーの方々に誇りをもっている話【数字しか見ていない連中をぶった斬る】

 

赤鬼はTwitterをやっています。

『文書の鬼』に以外にもいくつかブログを運営していて、それぞれTwitterアカウントを作成しています。

この記事では、Twitterを利用する上でネガティブに思ったことを書き連ねます。

 

 

フォロワーを数字でしか見ていない連中がいる

複数のアカウントに共通して、下記のような現象が起きていました。

 

誰かにフォローされる

自分もフォローを返す

相手からフォローが解除される

自分だけが相手をフォローした状態になる

 

 

どうやらこの手法によって、見た目だけのフォロワーを増やしているようです。

もちろんフォローする/外すは、個人の自由です。

しかし私からすれば、こざかしくフォロワーを増やすなど本当にくだらない作業にしか思えません。

 

驚いたことに、相手のプロフィールを確認してみると「なにかを表現している人」であることが多い。

個人ブログをもっていたり、Youtubeチャンネルをもっていたり。

もちろんマネタイズを視野にいれて活動しているようで、だからこそより多くのフォロワーがほしいのだと思います。

 

彼らにとっての”フォロワー”とは、単なる数字でしかないのだと思いました。

 

たしかに「フォロワー数」として可視化されたものは、その人の影響力を表します。

SNSのフォロワー数が指標となり、企業から案件をもらったり、報酬額が決定されたりすることもあるでしょう。

私自身、たくさんの人に見ていただきたいという気持ちはありますし、そのために書き方を工夫することはあります。

ただしフォロワーを増やすために”ちまちまと小細工する”など、心の底から馬鹿馬鹿しいと思っています。

 

 

フォロワーの数=本質ではない

あなたに100万人のフォロワーがいたとしても、100万人が常にあなたに興味をもっているわけではありません。

何割かのユーザーは、フォローこそしているものの、アクティブに動向を追っていないのです。

個々のユーザーの利用頻度や機会によっても変わってくることですから、これは仕方のないことです。

 

ただし前項にあった小利口な手法は、意図的に「見た目の数」だけ増やすわけですね。

 

そんなことをするアカウントが、健全であるはずがありません。

さらにいえば、そんなことをする表現者が影響力をもつわけがありません。

もっといえば、こんな単純なことに気がつかない表現者が、有益な情報を提供できるとは思えません。

 

考え方はさまざまでしょうけれど、どうにも私は「フォロワーの数=本質」と思えないのです。

ここに意識が向かないままに”インフルエンサーを気取っている連中”に対しては、やはり痛烈に批判せざるを得ません。

 

 

私はフォロワーの方々に誇りをもっている

2019年9月現在、赤鬼のフォロワーは6人です。

Twitterアカウント

数字としてみればたしかに少ないのかもしれません。

なかには、これを見て馬鹿にする人もいるでしょう。

 

しかし私はこの6人を「恥ずかしい」や「物足りない」など、一切思っていません。

 

素性があいまいな無名の物書きに対して、勇気をもってフォローしてくれました。

支持表明ほどの意図はないでしょうけれど、赤鬼とつながる意思表示をしてくれました。

「文章」という正解・不正解がないテーマを不安混じりで書いている私にとって、大きな励みとなる存在です。

 

彼ら・彼女らに誇りをもっていますし、本当に感謝しています。

だからこそ私は、いつでもどこでも胸を張っていられるのです。

 

フォロワーを数字として捉えている連中には、きっとこのことがわからないのだと思います。

表現物に対するたった一人のリアクションがいかに大きいのかも、知らないのだと思います。

「稼ぐためだけの作業」がどれほど虚しいのかに、気づいていないのだと思います。

 

誰かを批判することで、自分の立場を明確にするやり方は好きではありません。

しかし実情としてフェイクのフォローが非常に多いため、注意喚起する意味も込めて書きました。

現在フォローしてくれる方々に感謝を伝える機会を与えてくれたと考えれば、いくらか救われる部分もありますが……。

そんな方々を裏切らないよう、今後も活動を続けようと強く思いました。

長くなりましたが、以上です。

 

コラム

Posted by 赤鬼