【創作】言葉の「表記」に意図をもつ【読み手に与える印象】【基準を設ける】
小説を書くときの「表記」について考えます。
言葉を扱うにあたって、書き手は「どこを漢字にするか」「どこをひらがなにするか」を判断しなければなりません。
書き手の意図をもつことで、表記に対する考え方も明確になるはずです。
例をまじえながら見ていきましょう。
表記は統一すべき
まずは、実務的なところから考えていきましょう。
原則として、作中の「表記」は統一すべきです。
例
● 振り返った
● ふり返った
● ふりかえった
同一の作品において、これらの表記が混在している状況は好まれません。
何千何万もの文字を紡いでいくなかでも、書き手は表記の一貫性を保つよう心がけるべきです。
しかし個人的な意見としては、さほど重く課されるルールではないと考えています。
パソコンで執筆する以上「誤変換」は起こりうるもので、表記の整合性がとれていない場合は然るべき立場の人間(編集者)から修正が入るからです。
したがって「表記の乱れ」は気をつけるべきことではありますが、これによって筆を止めるほど神経質になる必要はありません。
ただし、表記による印象の変化はおさえておくべきです。
「どのような漢字をどのくらいの頻度で使うか」によって、作品の雰囲気は変わります。
例
● 振り返った
⇒ 重厚感がある
● ふり返った
⇒ 少しやわらかくなる
● ふりかえった
⇒ 幼い印象になる
表記が違えば、読み手に与える印象も変わりますね。
もちろん書き手のクセによっても違いは出てくるでしょうし、そこに「優劣」や「良し悪し」があるわけではありません。
重要なのは、表記のなかに書き手の意図が含まれていることです。
考えなしに書いてしまう状況は、「表記の乱れ」や「間違い」が起きるよりも罪が重いといえます。
明確な意図をもって書くことでそうしたミスを少なくすることにもつながるため、意識して書いていきましょう。
自分なりの基準を設ける
作品のジャンルや、描きたい世界感によって使い分けることもあります。
たとえば、ミステリー小説では「振り返った」のほうが雰囲気を演出できます。
幼い女の子を主人公にした物語であれば、「ふりかえった」と書いたほうが作品の世界観と合致します。
読み手に対する「印象の変化」を考えることは、書き手として「どのように読ませたいのか」を考えることでもあります。
スラスラと読ませたい場合、「ふり返った」のように漢字とひらがなを適度に混ぜたほうがベターでしょう。
意味を多重に含ませ、読み手に考えさせたいのであれば、あえて漢字を多用するのもひとつの手です。
このように、文章に自分なりの基準を設け、意図を反映させることが重要です。
その基準を作品全体に通低させれば、読み手に与える印象をコントロールできるでしょう。
■ 参考
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません