書き手のプライドを尊重する【人に知られたくない内容】
文章を書くとき、自分のプライドに抵触するような内容を扱うことがあります。
たとえば「人に知られたくない内容」を文章として書く場合ですね。
今回は「プライドを守るべきか」の選択を迫られたとき、書き手がどのように判断すべきかについて考えていきましょう。
「個人」と「書き手」は切り分けられる
どのような文章であっても、書くのは自分自身ですね。
しかし実際、そこには「2つの人格」がせめぎあっているといえます。
● 個人としての自分
● 書き手としての自分
この両者は、切り分けて考えることができます。
とくに「人に知られたくない内容」を扱う場合は、2つの人格のせめぎあいが生じます。
次項から具体的に考えていきましょう。
書き手のプライドとは
文章では個人的なエピソードを踏まえて書くことがあります。
例
「浮気をした話」
「警察に捕まった話」
「仕事で大失敗した話」
「イボ痔の手術をした話」
「ケンカでボコボコにされた話」
上記のような経験談は、できれば人には知られたくない内容ともいえます。
しかしエッセイなどを読めば、このようなエピソードは珍しいものではないと気付くはずです。
なかには、もっと具体的に「恥部」をさらしていることもありますね。
これは、個人のプライドよりも、書き手のプライドを優先した結果だといえます。
このようなエピソードを書くことで、個人としてのプライドは守られないのかもしれません。
しかし「読み手にとって価値がある」と判断できたとき、そのために身を削る覚悟があっても良いのではないでしょうか。
これこそが書き手のプライドだといえます。
書き手に「品格」がもたらされる
『人間失格』を書いた太宰治に対して、「ダメ人間」のレッテルを貼る人はいるでしょう。
しかし太宰治が「日本国内有数の文豪」であることを否定する人はいないはずで、書き手として尊敬されるべき存在であることは間違いありません。
つまり、人に知られたくない内容をさらしたとしても、書き手としての自分はマイナス評価を受けないのです。
むしろ自分の後ろ暗い部分と向き合うことで、書き手に「品格」がもたらされるといえます。
人に知られたくない内容に価値を見出し、読み手を満足させるように書く。
これは書き手のとしてのプロ意識からくる、立派な仕事といえます。
もちろん、すべてのエピソードに価値があるわけではなく、ありとあらゆる内容をひけらかす必要はありません。
ただし「書き手」である以上、迷ったときには書き手のプライドを尊重するように心がけましょう。
■ 参考
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