「社会問題」には罠がある
小説のテーマとして、社会問題を取り入れる場合があります。
実社会における問題をメタファーとして描く、というやり方ですね。
書き手からすれば、これは大きな挑戦です。
社会問題を扱うのですから、大量の資料を読まなければならないのは当然ですね。
それをうまく物語に組みこんだ上で、問題の本質がブレないよう描く必要もあります。
社会問題のメタファーを成立させるにには、高いハードル乗り越えなければならないのです。
残念なことに、そのハードルは書き手が思っているよりもさらに高いでしょう。
社会問題を扱うときは、たくさんの罠が仕掛けられているのです。
そもそも「社会問題」は、現代に生きる多くの人がわかっていることでもあります。
大きな問題として取り上げられ、それが社会の共通認識のように扱われているからこそ、社会問題なのです。
小説でこれを描くのであれば、物語として描く必然性を考えなければなりません。
たとえば、「ニート」や「ひきこもり」を大きなテーマにするとしましょう。
社会においても、働かない(働けない)人々にとっても、軽視できない問題ですね。
前述したとおり、書き手が努力することによって、物語として成立させることはできるでしょう。
しかし、読み手の多くはその生活ぶりを想像できていますし、すでに実感している場合も十分に考えられます。
社会への影響を考えながら、問題に対する理解を深めるのであれば、専門家の書籍を読んだほうがわかりやすいはずですね。
そうなると書き手は、小説として書く意味を必死になって探さなければならないのです。
ありきたりな例を挙げるなら、新たな視点をもたらしたり、物語によって問題の解決法を提示できたりするのなら、読む価値は見出せるでしょう。
読み手の「どうせ次はこの展開なんだろ?」や、文学賞選考委員の「またこれか……」をかいくぐりながら、クリティカルな内容に到達するまで物語の世界に留めておく工夫も必要ですね。
いずれにしても、とても難しいことにチャレンジしていることを自覚しなければならないのです。
もちろん、小説で社会問題を扱うことは珍しいことではなく、悪いことでもありません。
恐れるとしたら、書き手として社会問題に向き合っていながらも、筆を止めてしまうことです。
評価されるかどうかは別として、「物語として描く必然性」を自分なりに見つけられたのなら、それは迷いなく書くべきです。
高いハードルに萎縮するのではなく、冷静に受け止めた上で、勇気をもってチャレンジしましょう。
■ 参考
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