「社会」と「個人」を分ける
今回は、人物を描くときの考え方についてご紹介します。
書き手は、「社会」と「個」を分けて考えるべきです。
ほとんどの結婚披露宴では、新郎新婦の「生い立ち」を紹介する時間が設けられています。
司会を務めるフリーアナウンサーが、朗らか表情でそれぞれの半生や人となりを説明する場面ですね。
たとえば、このような紹介です。
平成××年××月××日、新郎の太郎さんは佐藤家の長男として誕生しました。小さいころはとっても甘えん坊で、お父さんとお母さんが離れてしまうとワンワンと泣き出してしまうほど。その後はすくすくと育ち……
一度でも結婚披露宴に出席したことがあれば、きっと覚えがあるはずです。
そしてご存知のとおり、多くの出席者はこの内容を聞いていません。
目の前に並べられた豪華な料理や、絶えず注がれるお酒に夢中になっています。
たとえ真剣に聞いていたとしても、3分も経ってしまえばそのほとんどを忘れているでしょう。
原因は複数考えられますが、ここでは文章の内容に着目して考えてみましょう。
すべての内容が、「社会からみたときの人物像」なのです。
● 客観的な事実
平成××年××月××日、新郎の△△さんは○○家の長男として誕生しました。
● 他人みた性格
小さいころはとっても甘えん坊で、お父さんとお母さんが離れてしまうとワンワンと泣き出してしまうほど。
結婚披露宴で使う原稿あれば、このように社会性を重視したアプローチが良しとされるのでしょう。
説明としてはわかりやすいのかもしれませんが、新郎がもつ本質的な「個」を感じられる部分がありません。
小説のなかで人物を描くのであれば、社会性を主軸にするべきではないのです。
社会的な立場や肩書きから説明される人物像は、表層上のデータを集めただけにすぎません。
人としての奥行きをもたらすためには、「個」を立ち上げる必要があります。
上記の例文を書きかえてみましょう。
太郎は、佐藤家の長男として誕生しました。それから3年後に妹が生まれ、太郎の両親は彼女につきっきりになりました。太郎は、可愛らしい妹に”両親をとられた”ように思いました。ですから、お父さんとお母さんが離れてしまうとワンワンと泣き出したのです。それは、彼にできる最大限の主張でした。
もちろん、披露宴で紹介される内容としては絶対にNGですね。
しかし、太郎の「個」はしっかりと感じられます。
小説として書くとすれば、こちらの内容のほうが興味をひくのではないでしょうか。
私たちが個人をみるとき、社会においてどのような立場にあるかを考えがちです。
「官僚」「サラリーマン」「IT起業家」
「フリーター」「ニート」「ひきこもり」
このように類型化された肩書きから、その人の中身を類推してしまうのです。
しかし、これによって個人をあれこれ形容したとしても、本質の部分を推しはかることはできません。
ましてや小説では、人間の深い部分を掘り下げられます。
社会性に惑わされていては、それを表現することはできません。
書き手であれば、その人がもつ「個」の部分をみるべきです。
物語のなかの人物に「人間らしさ」をもたらすよう、個を重視して描きましょう。
■ 参考
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