韻文の優位性
散文の「散」という字には、侮蔑の意味が込められているという説があります。
一定のルールに基づいて書かれる韻文に対して、特に制約を受けずに書けるのが散文です。
読んで字のごとく、散らかっているということですね。
かの有名なシェイクスピアの作品を読んだことはありますか?
彼は作中で、韻文と散文を使い分けています。
具体的には、登場人物の身分によってセリフの表現を書き分けているのです。
韻文:高貴な身分(貴族など)
散文:上層に属さない身分(侍女や職人階級など)
韻文と散文からうける印象の違いを、意図的に利用していますね。
このことが、物語に奥行きや深みをもたらす要因のひとつとなっています。
初めてこのアイディアを効果的に用いたのは、シェイクスピアの作品といわれています。
韻文と散文を混在させる作品はそれ以前から多数あったようなので、真偽のほどは不明ですが・・・
世の中に広く知らしめたという意味では、間違いなくシェイクスピアの功績といえます。
韻文は崇高、散文は低俗。
これについてどうのこうの議論することは、全く重要ではありません。
表現者としては、韻文の優位性を認めたうえで、両者の違いを効果的に使おうとすることがポイントです。
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