「だろう」「でしょう」を多用しない
曖昧な表現が説得性を欠くことは、以前からお伝えしていました。
その傾向が強く現われるのは、推量表現を多用している場合です。
文末に「だろう」「でしょう」を多用すればするほど、伝える力が弱くなります。
原文
食べ歩きが趣味の人にとって、ダイエットするのはとても辛いことだろう。しかし、低カロリーでおいしい料理を探すことも、楽しみのひとつといえるだろう。それでダイエットが成功すれば、きっと喜びは大きいはずだろう。
ひとつひとつの文を切り分けてみると、決して悪い文ではないことがわかります。
しかし、すべての文末が「だろう」で終わっていることに違和感を覚えます。
文章としては成立していません。
改善文1
食べ歩きが趣味の人にとって、ダイエットするのはとても辛いことだ。しかし、低カロリーでおいしい料理を探すことも、楽しみのひとつといえる。それでダイエットが成功すれば、きっと喜びは大きいはずだ。
推量表現をやめて、文末をすべて言い切りました。
これで、文章として成立できましたね。
そうなると、推量は使ってはいけない悪い表現なのでしょうか。
改善文2
食べ歩きが趣味の人にとって、ダイエットするのはとても辛いことだ。しかし、低カロリーでおいしい料理を探すことも、楽しみのひとつといえるだろう。それでダイエットが成功すれば、きっと喜びは大きいはずだ。
赤字の部分だけに、推量を使ってみました。
改善文1と比較しても、決して劣っていない出来です。
むしろ、改善文2のほうが良いと感じる人も多いはずです。
最初に挙げた原文が文章として成立できなかったのは、推量表現を多用しすぎたことが原因となっています。
このように、バランスをとりながら書くことで、表現のバリエーションが増えます。
結果的に、より良い文章が出来上がるのです。
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