書き手が考える「文体」とは

2019年7月4日

 

今回は、「文体」について小難しく考えましょう。

「○○の文体は~」という表現をどこかで見聞きしたことがあるように、文体は、文章を書く上では決して無視できないものです。

 

しかし、この「文体」とは一体何を指すのでしょう。

 

辞書を開くと、「文章のスタイル」といった言葉を使って説明している場合が多いです。

これもまた、漠然としていますね。

おそらく、「執筆における書き手の特性が表れている状態を抽象化したもの」と説明したいのでしょう。

一般的な解釈としてはこの説明で良いのかもしれません。

 

ただし、書き手からしてみれば、話は変わってきます。

「文章のスタイル」といわれても実際何をどうすれば良いのかわからないのに、それを評される立場にあるのですから。

 

この悶々とした状況を解決するべく、さまざまな書籍に目を通しました。

一応、納得できる結論を得ることができたので、ここでご紹介します。

 

 

書き手として念頭におくべきは、

「文体とは、あってないようなもの」

「書き手は文体を気にする必要はない」

ということです。

 

 

一般的に言われている「文体」とは、書き手の着眼点や文書の様式というよりも、技術的な意味合いを強く推しています。

たとえば、どのような単語を使うのか、漢字にするかひらがなにするか、送り仮名はどうするのか、文をどう繋ぐのか、文末はどう締めるのか、などですね。

 

このいうな文体は、「装飾」の集まりでしかありません。

装飾であれば、着けたり外したり、いくらでも手を加えることも可能です。

文章についても、変えようと思えばすぐに変えられるものなのです。

 

こうして考えると、文体の実態はとても脆いことがわかります。

よって、「あってないようなもの」といっても過言ではないくらいの、あいまいな概念なのです。

 

 

次に考えるべきは、書き手のクセです。

当然、これも文体に含まれるでしょう。

読み手からすればこれは、好みが分かれる部分です。

「しっくりくる文体」とか、「好きになれない文体」とか、文章を判断するための要素となるのでしょう。

けれども、少なくとも書き手の立場からいえば、文体にこだわるメリットはありません。

 

こうした「特徴」は、結果として滲み出てくるのであって、意図的に操作してどうにかなるものではないのです。

そもそも、直前に読んだ本など、ほかの文章に影響される可能性もあります。

一貫性を保つために書き手自身がルールを決めたとしても、つじつまが合わなくなったり、ボロが出たりと、無理が生じるでしょう。

 

要するに、書き手が文体にとらわれてはいけないのです。

 

文章にたくさんの決まりごとや作法があるのは事実ですが、文体はこれに含まれません。

もしも文体に幻想を抱いているのであれば、それを捨てることからはじめましょう。

 

 

コラム

Posted by 赤鬼