書き手が考える「文体」とは
今回は、「文体」について小難しく考えましょう。
「○○の文体は~」という表現をどこかで見聞きしたことがあるように、文体は、文章を書く上では決して無視できないものです。
しかし、この「文体」とは一体何を指すのでしょう。
辞書を開くと、「文章のスタイル」といった言葉を使って説明している場合が多いです。
これもまた、漠然としていますね。
おそらく、「執筆における書き手の特性が表れている状態を抽象化したもの」と説明したいのでしょう。
一般的な解釈としてはこの説明で良いのかもしれません。
ただし、書き手からしてみれば、話は変わってきます。
「文章のスタイル」といわれても実際何をどうすれば良いのかわからないのに、それを評される立場にあるのですから。
この悶々とした状況を解決するべく、さまざまな書籍に目を通しました。
一応、納得できる結論を得ることができたので、ここでご紹介します。
書き手として念頭におくべきは、
「文体とは、あってないようなもの」
「書き手は文体を気にする必要はない」
ということです。
一般的に言われている「文体」とは、書き手の着眼点や文書の様式というよりも、技術的な意味合いを強く推しています。
たとえば、どのような単語を使うのか、漢字にするかひらがなにするか、送り仮名はどうするのか、文をどう繋ぐのか、文末はどう締めるのか、などですね。
このいうな文体は、「装飾」の集まりでしかありません。
装飾であれば、着けたり外したり、いくらでも手を加えることも可能です。
文章についても、変えようと思えばすぐに変えられるものなのです。
こうして考えると、文体の実態はとても脆いことがわかります。
よって、「あってないようなもの」といっても過言ではないくらいの、あいまいな概念なのです。
次に考えるべきは、書き手のクセです。
当然、これも文体に含まれるでしょう。
読み手からすればこれは、好みが分かれる部分です。
「しっくりくる文体」とか、「好きになれない文体」とか、文章を判断するための要素となるのでしょう。
けれども、少なくとも書き手の立場からいえば、文体にこだわるメリットはありません。
こうした「特徴」は、結果として滲み出てくるのであって、意図的に操作してどうにかなるものではないのです。
そもそも、直前に読んだ本など、ほかの文章に影響される可能性もあります。
一貫性を保つために書き手自身がルールを決めたとしても、つじつまが合わなくなったり、ボロが出たりと、無理が生じるでしょう。
要するに、書き手が文体にとらわれてはいけないのです。
文章にたくさんの決まりごとや作法があるのは事実ですが、文体はこれに含まれません。
もしも文体に幻想を抱いているのであれば、それを捨てることからはじめましょう。
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