言葉の性差に配慮する ~ 有標化された女性 ~
言葉の性差について考えるにあたって、まずは「有標」と「無標」について知っておく必要があります。
言語学には、「有標(marked)」「無標(unmarked)」という考え方があります。
これらについてかんたんに説明しましょう。
まずは、「青い消防車」を思い浮かべてください。
一般的な消防車は赤色をしていることが圧倒的に多いため、「青い消防車」という言葉からは特別な印象を感じますね。
このとき、通常の「消防車」は無標で、「青い消防車」は有標と区別します。
一般社会における男女の差も、有標・無標に区別されることがあります。
わかりやすい例は、「女医」という言葉です。
私たちは「医者」という単語を見たときには、男性をイメージしてしまう傾向にあります。
「女医」と聞けば、男性が多いコミュニティで活躍する女性の姿が想起されます。
この場合、無標である「医者」を有標化したのが、「女医」ということになりますね。
ほかにも、「女性弁護士」や「婦人警官」、「女子高生」や「女子大生」といったように、女性を有標化した表現は数多く存在しています。
言葉の性差に敏感になっている昨今、女性を有標化した表現は徐々に使われなくなっています。
「看護婦」は「看護師」となり、「保母」は「保育士」呼ばれるようになりましたね。
「サラリーマン」や「カメラマン」はまだ根強く使われている印象もありますが、「ビジネスパーソン」や「フォトグラファー」に置きかえられつつあります。
本来、業種や職種に性差はないはずです。
男女比の偏りには大まかな傾向があるものの、社会がそれを押し付ける必要はありません。
書き手が有標化された表現を扱うときは、この傾向を準用するのが無難でしょう。
しかし「女性であることを押し出す表現」が、かならずしもネガティブなものというわけではありません。
「女流棋士」が良い例です。
本来、将棋界に男女の区別はありませんが、男女比でいえば男性の割合が多いですね。
多くの人に将棋を普及させるために「女流」という枠組みを設け、そこで活躍する女性が「女流棋士」と呼ばれています。
つまり「女流棋士」はきちんとした理由や経緯をもって、制度的に作られたものです。
有標でありながら、公の場で使ったとしてもなんら問題がない表現なのです。
社会的な性差の扱いは、どんどんデリケートなものになっています。
男女平等を重んじるのであれば、有標化された表現は使わないほうがベターでしょう。
ただし、「女性の特別感」の裏にある意味や、文章において扱う内容によっては、神経質にならなくても良い場合もあります。
読み手のことはもちろん、文章内で扱う対象のことも考えながら、適切に使い分けましょう。
■ 参考
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