【書く仕事】仕事として書くと「不自由」を実感する【お金をもらう】
「書く」という作業は、とても大変なことです。
これを「仕事として書く」となれば、また違ったところで「大変さ」を感じることがあります。
書き手の立場からすると、「不自由」を実感することも少なくありません。
このことについて、具体的にみていきましょう。
「仕事として書く」とはどういうことか
やろうとしているのは仕事であって、ボランティアではありません。
そこには、お金が発生します。
つまり、あなたの文章にお金を払う人がいるのです。
相手からすれば「書いてもらう必要性」を感じて、あなたにお金払うわけです。
お金をもらう以上、文章の質はもちろん、そこに書く内容も相手の要望に合わせなければなりません。
これは「書き手として」というよりも、「社会人として」の振る舞いを求められる局面です。
書くことを仕事にするのですから、生活を送るために社会人としての一面を忘れてはならないのです。
書きたいことが書けるわけではない
仕事には「やりたくないこと」がたくさんあります。
一度でも働いた経験があれば、このことを知っているはずですね。
書く仕事でいえば、「書きたくないこと」を書かなければならない状況は珍しくありません。
わかりやすいのは、WEBメディアや雑誌の企画でのライティングです。
企画は「一定の指向性」をもって組まれることがほとんどで、書き手はそれに応じた内容を書かなければなりません。
もちろん私たちには案件を「断る権利」があります。
個人の主義に反する内容であった場合などは、依頼を断るのも一つの手です。
ただし、まだ駆け出しの書き手であれば、基盤が整っていないことがほとんです。
案件の依頼を断るのは、なかなか難しい判断になるでしょう。
実は、「小説」も同様です。
小説はたったひとりで書き進めることのできる文章の代表格で、たしかに執筆中は自由です。
しかし本を作るとなれば、たくさんの人間が関わることになります。
その都合から、ときに主軸となるべき内容を削除・修正されることだってあり得るのです。
不自由であることを覚悟すべき
書く仕事は、いつでもどこでも働くことができます。
その意味では、自由な働き方だといえますね。
しかし実情として、そこで行う作業が「仕事である」ことは間違いありません。
書き手が紡ぐ文章は、「仕事として受けもった」ことが前提となっているわけです。
そう考えると、働き方は自由であっても、書く内容の自由度は思っているほど高くないのです。
ただ、まったく緩和されないわけではありません。
書き手として実績を積んだり、クライアントの信用を得たりすることで、縛りはゆるくなっていきます。
仕事としての本質は変わらないものの、取り巻く環境は少しずつ改善されていきます。
辛く苦しいことも多々ありますが、文章の自由度を上げることを目指しながら、前向きな気持ちで書いていきましょう。
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