【読まれる恐怖】知っている世界を書く【恥をさらす】
「得意分野」をもっていると、文章を書く上で有利です。
これは書き手の”武器”となります。
執筆活動を力強く支えてくれるため、得意分野をもっておくに越したことはありません。
ただし「知っている世界」を書くからこそ、書き手は慎重になる必要があります。
わかりやすくいえば、失敗が許されないからです。
得意だからこそハードルが高くなる
「好きこそ物の上手なれ」という言葉から察するように、「得意分野」と称するものは得意であって当たり前です。
だからこそ、猛烈なクオリティチェックにさらされるのです。
書き手からすれば得意分野であっても、意見や考え方が異なることもあるでしょう。
もしもそこで「ミス」があれば、「得意分野」と称していることがむしろ仇になってしまうのです。
世に出た文章は不特定多数の人々が読むことになるでしょうし、そのなかには当然「専門家」も含まれています。
書き手は、専門家に「読まれる恐怖」と向き合なければなりません。
そこに現れた高いハードルを越えることは、かんたんではないでしょう。
赤鬼の場合
もっともわかりやすいのは、このブログの存在です。
私自身、書くことでお金を稼いでいますし、出版の経験もあります。
私の立場から思ったことや考えたことが、誰かにとって価値のあるものになればと思っています。
その点については、うやうやしくも胸を張っていられるわけです。
しかし「文章の書き方」に正解はなく、私自身生涯を通じて学び続ける覚悟をもって書いています。
そんなあいまいな「文章の書き方」を、”文章で発信”しています。
私からしても身のおきどころがなく、恥をさらし続けている気分なのです。
だからこそ今でも、ブログの内容を”専門家”に読まれることを想像すると寒気がするのです。
それぞれの目が私のコンテンツを精査するでしょうし、どのフェイズで「文章の書き方」を展開しているかもわかってしまうでしょう。
書き手としてのレベルも類推されかねないのですから、丸裸にされている気分になります。
「完璧主義」からはなにも生まれない
しかしその良し悪しを判断するのは読み手であり、書き手ではありません。
そこに完璧を求めたところでなにも生まれないし、なにも始まらないのです。
書き手としては「ビビッてなにも書かない状態」のほうが、よほど悪いことだといえます。
こちらの記事で書いたように「居直り・割り切り・開き直り」に転じなければ、悪い状態から脱却することはできません。
たとえその文章が大勢の読み手に馬鹿にされたとしても、誰かひとりのためになればいいのです。
この部分は「知らない世界」を書く場合と同様ですね。
ひとつ違っているのは、「知っている世界」を書くには多大なる勇気が必要ということです。
得意分野を明言しないまま逃げまわるように書くと、書き手として成長できません。
勇気をもって文章に落とし込むことで、考えがまとまったり、見直すことができたり、ブラッシュアップできたりと、さらなる成長を期待できます。
私自身、誰かにとって有益であることを信じながら、今後もふてぶてしく文章の書き方をご紹介していくつもりです。
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