【書く仕事】なぜ書く仕事に就いたのか【理由と回答】
誰かから頼まれて書き手になるのはめずらしいケースといえます。
多くの書き手が、自発的に「書くこと」を選択したからこそ書き手になったはずです。
そこで今回は、書く仕事に就いた理由を掘り下げてみます。
理由だけならまだしも、これを実生活で質問されると意外に困るテーマなので、一緒に考えていきましょう。
理由を求められる
多くの人にとっての”物書き”とは、どうやら「知らない世界にいる人間」らしい。
なぜ物書きになったのか、どうして書く仕事に就こうと思ったのかなど、「理由」を求められることがしばしばあります。
実態は単なるフリーランスでしかないのですが、ほかの仕事ではあまり見られない現象だと思います。
これから書く仕事に就く人は、かならず一度は聞かれる質問でしょう。
白状すると、私はこの問いにうまく答えられませんでした。
たとえばこのとき「お金を稼げるから」「みんなから尊敬されるから」「世界を平和にしたいから」など、わかりやすいメリットを提示できれば楽なのですが……
実感としては、物書きという人種がこれらの理由と直接的に結びつくことは考えづらい。
稼げる仕事や尊敬される仕事、世界平和を実現しようとする仕事は、きっとほかにたくさんあるでしょう。
ひとつ、”在宅ワーク”という点では大きなアドバンテージかもしれませんね。
ただしそこにデザイナーやクリエイターのような華やかさはなく、成果物が「活字のみ」ということを考えても、やはり物書きは質素です。
リモートで仕事をこなすようになった昨今の状況からみても、今となっては在宅ワークに新奇性はありません。
このスタイルに周囲から羨望の眼差しを向けられることはないでしょうし、周囲が納得するようなわかりやすいメリットはないのです。
書くことだけが残った
実をいうと、書く仕事に対して強い憧れがあったわけでもありません。
私の場合、あまり本も読んでこなかったので、「小さいころから読み書きが好きだった」という理由も使えないのです。
そうなると「じゃあなんでその仕事に?」という疑問を強めることになり、さらにこの返答に困るわけです。
純粋な疑問なのでしょうけれど、理由がひとつではない場合もありますから、やはりかんたんではないのです。
もちろん物書きになった理由については私自身でも考えます。
私の場合、理由として成立するかは別として、物書きに「なるべくしてなった」「ならざるを得なかった」という感覚があります。
「書くことしかできない」という自意識や、「書くことでしか表現できない」という自己分析が、正直ありました。
このように表現してしまうと、選ばれし者のような、どこか宿命めいた響きになりますが、決してそうではありません。
いろいろと回りまわった挙句、自分の能力と物事の分別をつけた結果として「書くことだけが残った」というのが本当のところです。
個人差はあれど、上記の感覚はどうやら”物書きあるある”のようです。
難しいのは、これを嫌味なく、周囲が納得できるように、シンプルに伝えることです。
私自身「なんで物書きになったの?」と聞かれることは、今になってもよくあります。
相手によっては、なにか崇高な理念みたいなものを匂わせなければならないような気がして、ちょっとだけ息苦しくなります。
意味や筋道があるはず
説明を難しくさせるのは、言語化のプロセスだけではありません。
そのときの状況によって、適切な伝え方を考えなければならないのです。
たとえば物書き同士の会話であれば、「書くことだけが残ったから」とざっくばらんに伝えても受け止めてくれるでしょう。
時間に余裕があれば、そこから会話が展開したり、議論を深めたりと、お互いの考えを知るきっかけにもなります。
しかし表現に興味のない人であれば、まともに受け止めてくれる保証はありません。
前々項で書いたような即物的な、俗っぽいメリットがなければ、納得してはもらえないでしょうし、質問攻めはおさまらないでしょう。
どのような領域の質問でもカバーできるような、バチンとはまる理由があればいいのですが、私はまだ見つけられていません。
困ったときに備えて、回答を複数用意しています。
● 面白そうだったから
● やってみたら手ごたえがあったから
● 自分にもできるかもしれないと思ったから
理由がひとつとは限りませんし、実際(私にとって)どの回答もウソではありません。
ちなみに最近は「静かに暮らしたいから」と答えましたが、前項に書いたような書くことの必然性について語るときもあります。
このようにして、質問者とその場の状況にあわせた回答を複数使い分けているのです。
前述したような「バチンとはまる理由」を見つけるまでの暫定措置ではあるので、おすすめこそできませんが……
こうでもしなければ質問者のクエスチョンマークを消し去ることができず、お互いに不毛な時間を過ごすことになります。
間を置きにきたコミュニケーションであればなおさら、相応の返答でなければかえってうっとうしく思われるかもしれませんから、省エネバージョンも用意しておくに越したことはありません。
私は今後も誰かから「書く仕事に就いた理由」を聞かれるでしょうし、そのときになって自分自身のことを振りかえるのだと思います。
ちょうどよく俗っぽい理由を思いつくかもしれませんし、源流をたどって幼少期までさかのぼることもあるかもしれません。
現時点は自覚していないきっかけを思い出したり、発端となった出来事に気づいたりする可能性もあります。
自分では成り行きとしか思えなかったとしても、その経緯にはなんらかの意味やしかるべき筋道があるはずです。
これらを掘り下げてみるのもおもしろいので、みなさんもこの記事をきっかけにあらためて考えていただけたら幸いです。
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