書き手の個性は「一文」に現われる【主観性】【自分らしさ】
文面からにじみ出る「書き手の個性」は、とてもあいまいな概念です。
読み手でいるときには知覚できるものの、書き手になった途端に見えなくなってしまうものです。
ましてや、書き手がねらったとおりに示すことができるものでもありません。
今回はその「個性」を紐解くために、理屈をまじえながら考えていきます。
個性は「残ったもの」に宿る
まずは例文を見てみましょう。
例
スラム街に住む人と、セレブ街に住む人。
人間である以上、服を着て出かけ、腹が減れば食事を摂り、眠くなれば横になる。
そんな日々の中、折々に訪れる「幸福」に大きな差はないはずだ。
貧富の差はあれど、やはり私たちは人間なのだ。
この文章から「具体性」や「客観性」を削ぎ落としてみます。
注目すべきは、そこに残ったものです。
具体性や客観性を排して残ったものには、主観性が含まれているはずです。
主観性が読みとれる文章は、「書き手の個性」が色濃く出ているといえるでしょう。
書き手の個性は「一文」に現われる
実際に、主観性を感じさせる部分を抽出してみましょう。
この書き手の主観が見てとれる文は、太字で書かれた部分です。
例
スラム街に住む人と、セレブ街に住む人。
人間である以上、服を着て出かけ、腹が減れば食事を摂り、眠くなれば横になる。
そんな日々の中、折々に訪れる「幸福」に大きな差はないはずだ。
貧富の差はあれど、やはり私たちは人間なのだ。
書き手の思想や所見を感じさせるのはもちろん、深いところにある信念がにじみ出ている内容です。
このような書き手の主観性がうかがえる内容は、文章の端々に出てきます。
書き手の個性とは、一文に現われるものなのです。
もちろんイコールでつなげられるわけではないのですが、そこに個性が含まれていることは間違いありません。
文章全体に共鳴する
ここまでご紹介したのは、いわば「細部の個性」です。
なかば強制的に理論化したもので、こじつけに思えるかもしれません。
しかし細部に宿った個性が反復され、積み重なることが重要です。
そのプロセスを経て、文章全体に共鳴する「書き手の個性」が浮かび上がるのです。
「自分の個性ってなんだろう」と疑問に思った書き手は、書き終えた文章を読み返すと良いでしょう。
読み手の立場から感じるであろう「あなたの個性」を、のぞき見ることができるかもしれません。
すると「自分らしさ」がどういったものであるかを理解するため、ヒントをつかめるはずです。
■ 参考
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません