書く仕事は”職業”といえるのか【「元」がつかない】【特殊な仕事】
世の中にはさまざまな仕事があるなかで、「書く仕事」は非常に特殊な働き方といえます。
たとえばテレビタレントが小説を出版しても、作家に転職したことにはなりませんね。
「書く仕事」が本当の意味で”職業”として分類されるのであれば、矛盾とまでいわないにしろ、整合性がとれなくなってしまいます。
「書く仕事」を職業として考えたときに生じる、この感覚的な差異ついて考えていきましょう。
「元」がつかない職業
どんな職業でも、退職や引退によってその業界から離れることがあります。
仕事を辞めたときには「元・芸能人」「元・会社員」「元・参議院議員」のように、肩書きに「元」がつくことになりますね。
縁起の悪い話をすると、「文章を書けなくなった」、あるいは「書きたくなくなった」としたら、書く仕事を辞めなければなりません。
しかし「元・作家」「元・小説家」「元・物書き」という肩書きは、あまり馴染みのない表現です。
上位概念としての「職業」で扱うのであれば大きな違いはないはずなのに、「書く仕事」を辞めた場合はどれもしっくりこないのです。
このことを踏まえて考えると、「書く仕事=職業」の結びつきに疑問を抱いてしまいます。
「書く仕事」が”状態”である説
書き手であったはずの人が、今後の人生で文章を一切書かなくなったとしましょう。
当然ながら、その人は書き手ではいられませんね。
しかしなにかのきっかけによって本人の気が向けば、いつでも、どこでも、一人きりで書き始めることができます。
つまり好きなタイミングで仕事を再開して、すぐさま書き手に戻ることができるのです。
このことから「書く仕事」は職業でなく、”状態”であるという説があります。
すると冒頭にあった「テレビタレントが小説を出版しても作家に転職したことにならない」にも合点がいきますね。
小説を書いているときは「作家の状態」にあるわけで、タレント活動を辞めたわけでも、転職したわけでもないのです。
同じように、肩書きに「元」がつかないことにも納得できるでしょう。
「書く仕事」はいかにも職業らしく扱われたとしても、その性質は極めて特殊なのです。
「内実」と「分類」は分けるべき
「書く仕事」が特殊であることは間違いありませんし、それを「状態」だとする考え方にも異論はありません。
しかし、だからといって「職業とはいえない」と断言できるほど、浮世離れしたものではないはずです。
「職業といえるのか」にポイントを絞るのであれば、「仕事の内実」と「業種・職種の分類」は分けて考えるべきです。
文章によって収入が発生するということは、どこにはビジネス上の取引があるはずです。
執筆の依頼を受け、契約書を交わし、仕事をこなせば口座にはお金が振り込まれるでしょう。
「書かない期間」が長く、新規の取引や金銭のやりとりがなかったとしても、書籍の印税やブログの広告収入が入っているかもしれません。
文章からお金が発生する以上は、職業としての性質を帯びるのです。
社会的には「職業」として扱う
そもそも税務署に開業届を提出していれば、その活動は事業として認められているわけです。
(赤鬼は「文筆業」で提出)
書き手の主義主張に関係なく、「書く仕事」は社会的に職業として扱われるといえます。
前述したとおり、ほかの仕事と比べたときの「特殊性」は否定できません。
「いつでもどこでも一人で仕事ができる」という点をとってみても、一般的な仕事とは違っていますね。
実績の積み方によっては、半永久的に収入が得られるシステムを構築することも可能です。
もちろん、良いことばかりではありません。
(赤鬼の場合は)周囲の理解を得られなかったり、根拠なく見下されたりする場合だって多々あります。
良いも悪いも含めて、自分自身がこの「特殊性」を理解することが大切です。
その上で、職業として扱われたときの身の振り方、対応の方法を考えるべきです。
企業との契約や、確定申告のあれこれ、周囲の反応も含め、自分の仕事と上手に付き合っていきましょう。
■ 参考
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