小説における「メモ」の在り方

今回は、メモの在り方について考えます。

執筆全般において、メモは欠かせない存在です。

取材や調査を必要とするライティングでは、メモに書き留めた内容から文章が生まれます。

さて、小説の執筆については、どうでしょうか。

メモに書き留めたアイディアは、いわば小さな部品のようなものです。

その小さな部品を組み立てることで、作品が書きあがります。

「ネタ帳」を作っている書き手も少なくないかもしれませんね。

創作においても、メモは重要なツールのひとつなのです。

もしも良いアイディアをメモしていなければ、最悪の場合、そのアイディアを忘れてしまうこともあります。

当然ながらこれは、書き手にとってはもちろん、作品としても大きな損失ですね。

したがって、メモを取る行為自体を否定はしません。

ただし、書き手がメモの存在に囚われる事態は避けなければなりません。

どういうことかというと、小説においてメモの存在が大きすぎる場合があるのです。

構成、展開、トリック、会話、表現、キャラクターなど、メモにはさまざまなことが書かれるでしょう。

書き手は、これらを「使わなければもったいない」という意識が働いてしまうわけですね。

言い換えれば、メモに拘束されている状態です。

描く作品には、作品独自の世界があります。

書き進めるなかで、書き手本人ですら想定していなかった展開が思いつくかもしれません。

メモの内容がそれにマッチしているとは限らないのです。

「もったいない」と感じる気持ちは、時に、書き手や作品を縛り付けます。

自由であるはずの小説、そしてそこにあるはずの可能性を、自分自身で放棄してしまうことだってあるのです。

そもそも、書き留めておけなければ忘れてしまうようなアイディアの存在意義も疑わしいとことではありますね。

書き手として、メモの在り方を一度見直すことをおすすめします。

本当に作品のためになると書き手自身が信じられるのであれば、メモをもとに書き進めていくのも良いでしょう。

その内容全てを使おうとせず、あくまで参考程度に留めておくのも考え方のひとつですね。

■ 参考

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