【小説】長編と短編について考える【書き手の目線】
小説の長編と短編について考えます。
「どこまでが短編で、どこからが長編なのか」
ここに疑問を抱えている人は多いでしょう。
今回は「書き手の目線」に重きをおいて、これを考えていきます。
長編と短編を区別することに意味はない
最初から裏切ってしまうようで恐縮ですが、長編と短編の区別について考える必要はありません。
長編と短編のボリュームを明確に定義することはできないからです。
もちろん「長編小説」と「短編小説」は明らかに違っています。
十万文字を超えるボリュームで書かれたものは短編になりえず、一万文字でおさまった作品が長編と呼ばれることもありません。
しかしその境界線はあいまいです。
たとえば芥川賞を受賞する作品は、一般的に「短編」とされていますが、実際には「中編」と呼んだほうがしっくりくるような文字数で書かれています。
「中編」と「長編」の境目を考えれば、さらにぼやけてくるでしょう。
誤解を恐れずにいれば、これについて考えるのは無駄だといえます。
書き手の感覚で判断する
そもそも「長い・短い」は感覚的なものであり、読み手によってもその解釈は変わります。
だからこそ、優先して考えるべきは、書き手の目線です。
「長編にするには素材が足りない」
「この物語は短編ではおさまりきれない」
「長編(もしくは短編)にしたほうがおもしろそうだ」
長編と短編のボリュームを定義することはできないにしろ、書き手から見た感覚的な基準は存在します。
元からあいまいで感覚的なものでしかないのであれば、その基準について深く考える必要はなく、無理に定義する必要もありません。
あなたが実際に筆をとったときに感じたことを信じるべきです。
作品がどのように開いていくのかを考える
書き手が「対外的な基準」を求めるのは、自分の手から作品が離れていくときです。
つまり作品が世の中に開いていくとき、はじめて体裁を考える必要がでてくるのです。
もっともわかりやすいのは、文学賞に応募する場合です。
募集要項には、出版社が提示した規定が記載されています。
仮に「原稿用紙70枚以上150枚以下」と書かれていれば、その規定を守らなければなりません。
規定枚数が満たなかったり、超えたりした場合には、当然ながら選考から外されてしまうでしょう。
このとき書き手は、作品に対して短編・長編を考える余地はないはずですね。
本を出版するときも同様です。
「原稿用紙30枚以下で書かれた小説」が単行本として出版されることは稀でしょう。
いくつかの作品を集めて「短編集」としたり、ボリュームを増やして「中編・長編」にしたりと、体裁を見直すのが現実的です。
自分の小説が「短編であるか、長編であるか」は、本来優先して考えるべきことではありません。
作品の体裁を考えることは重要ですが、これは単に「世間にどう扱われるか」の問題です。
本質的な創作とは離れたところにあるのです。
文字数や枚数にとらわれることなく、自由に表現していきましょう。
■ 参考
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