「読み物」にする感覚【読み手のことを”具体的”に考える】
文章は自由です。
書き手の意思や主観、主張や見解、心の叫びなどを、表現することができます。
しかし、思ったまま書き落とすだけでは伝わりません。
書き手であれば、自分の内面にある諸々を「読み物」として書かなければならないのです。
「むき出しの自分語り」は伝わらない
書き手が思ったことを思ったまま書き落とすと、「むき出しの自分語り」になります。
書き手にとっては、その文章に意味や価値があるものかもしれません。
しかし、読み手の立場で考えてみましょう。
自分勝手な文章を読むことは、辛い作業でしかありません。
そのような文章は、読み手に伝わらないどころか、最後まで読まれない可能性もあります。
読み手のことを考える気持ち
自分勝手な文章を書かないように、書き手は対策しなければなりません。
その対策を一言でまとめるのなら、「読み手のことを考える」です。
自分勝手な文章にしないためにも、読み手のことを考える気持ちをもつことが大切ですね。
とはいえ、ただ漫然と考えただけでは、「考えたつもり」で終わってしまう恐れがあります。
「読み手のことを考える」だけでは具体的なイメージがわかず、行き詰ってしまう人も少なくないはずです。
“読み手を思う気持ち”を文章へと反映させるには、「読み物にする感覚」が必要です。
読み物にすると伝わる
ラブレターで考えてみましょう。
相手のことが好きすぎて、「好き」という言葉を100回書いたとします。
溢れんばかりのその恋心はきっと尊いものなのでしょう。
けれども、かんたんな言葉を書き殴ったところで相手に伝わるわけがないのです。
書き手が「読み物にする感覚」をもっていると、自分勝手な文章から脱却することができます。
書くべきは”読み物”ですから、「どうやったら相手に伝わるだろうか」「そのためには何をどうすべきか」と考えなければなりません。
おのずと「相手を中心に据えて考える」ことになりますね。
そうなれば過不足のない内容で、具体性に欠けることなく、伝わる文章を書けるはずです。
つまり読み物にする感覚をもっていれば、読み手のことを”具体的”に考えることができるのです。
「読み手のことを考える気持ち」を、実践的に文章に落とし込むことができるでしょう。
きちんとした「読み物」にするつもりで書けば、きっと相手に伝わります。
「むき出しの自分語り」に徹するのではなく、読み手のことを考えるその気持ちを読み物として表現していきましょう。
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