【書き手の癖】文体が形成されるプロセス【独自の書き方】
文体は徐々に形成されるといわれています。
今回は、文体がどのように形成されるかについて詳しくみていきましょう。
おおまかなプロセスとしては、「模倣」から始まり、「矯正」されることで文体は揺さぶられます。
それについて書き手が「考える」ことにより、文体は形成されるのです。
模倣から始まる
好きな作家からは影響を受けるものです。
「作家への憧れ」から意図的に真似ることもあれば、読んでいるうちに自分の身体へと染み込んでいくこともあるでしょう。
書き手が意識しているかは別として、文体と呼ばれるものの多くは「誰かの模倣」から始まります。
それがいつしか「自分の言葉」や「自分の書き方」のように思えてくるのです。
そう考えると、生まれながらの文体をもっている人は非常に珍しいといえます。
「師匠」と呼べる存在がいなかった私でも、独自の文体らしきものを自覚したことはありません。
むしろ師匠がいなかったからこそ、私の文体はさまざまなところから影響を受けつづけ、今もなお変化しているのでしょう。
矯正されるタイミングがある
文体は「名文」や「良い文章」が前提として成り立つわけではありません。
いいかえれば「癖」のようなものであり、書き手の「悪い癖」も文体の独自性を担保するための要素となります。
したがって、遅かれ早かれ文体を矯正されるタイミングがあるのです。
この矯正に対してどう向き合うかによって、文体は変化します。
小説でなくとも、ある程度の規模のメディアで執筆すると “修正” が入りますね。
(私個人は直されることが多いほうだと思います……)
書き手がこれを「受け入れる」か「抵抗する」かによって、文体が揺さぶられるのです。
「喪失」と「獲得」で変化する文体を考える
前項にあった「悪い癖」は、本当の意味での「悪」ではありません。
言葉は常に変化していくものであり、書き方に本質的な「良い」「悪い」はないのです。
執筆するのが小説であれば、なおのこと、その文体が「悪い」などと断言できるはずもありません。
誤解を恐れずにいえば、外部からの矯正はいわば「優等生になれ」と言われているようなものです。
掲載文字数の関係や、誤字や誤用があった場合は別にして、できるかぎりニュートラルに伝わるような書き方を求められます。
そうなれば必然的に、文体の素であった「癖」がなくなっていきます。
つまり、あなたが優等生になるほど、本来の文体は失われていくことになるのです。
書き手にとってこれは、かつての文体を「喪失」した瞬間であり、新たな文体を「獲得」した瞬間でもあります。
重要なのは、変化する文体を考えることです。
模倣から始まり、誰かに矯正されることで、文体は揉まれていきます。
現実的に考えれば、修正されるのには理由があるはずです。
なにが悪かったのかを考え、納得できれば従い、納得できなければ真っ向から抗えばいいのです。
もちろん、模倣する対象が変わることもあるでしょうから、そのときは新たな刺激が文体に染み込んでいくでしょう。
文体は、粘土細工のようにその形が整っていくこともあれば、ふるいにかけられたように洗練されていくこともあります。
このようなプロセスを経て自然と出てきた文体は、間違いなく「あなたのもの」といえるでしょう。
■ 参考
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