【書き方を考える】語尾「~た」の連続【良い? 悪い?】
文章作法において、「同じ語尾の連続」は良くないことだとされています。
小説においても、同様の価値観が浸透しています。
「~た」「~だ」「~る」など、同じ語尾が連続するのを嫌う傾向にあります。
しかし考え方を変えれば、一概に悪いとはいえなくなることもあります。
語尾の連続について、違った角度から掘り下げていきましょう。
「~た」の連続を”良くない”と感じる
例
せまい路地に入った。その先は行き止まりだった。
ため息をついた。路地を引き返すことにした。
例文では、「~た」が4度も連続して使われています。
冒頭にあったとおり、これは一般的な作法に反していますね。
語尾の連続が気になってしまう人は、書きかえるべきです。
文章の書きかえ自体は、とてもかんたんです。
例
せまい路地に入る。その先は行き止まりだった。
ため息をつく。路地を引き返すことにした。
ここでは「~る」「~く」を間にはさむようにしました。
方法はさまざまで、隣りあう文章同士をつなげたり、要素を書き加えたりするなど、書き手のクセや文脈によって変わってくるでしょう。
いずれにしても、書き方を工夫すれば語尾の連続を防ぐことができます。
「~た」の連続が気にならない
なかには「語尾の連続が気にならない」という人もいるでしょう。
実のところ、これもまた尊重すべき意見です。
というのも、書き手が意図して連続させた場合、そこには理由があるからです。
もう一度見てみましょう。
例
せまい路地に入った。その先は行き止まりだった。
ため息をついた。引き返すことにした。
この例文に関していえば、登場人物の心理・心情を直接描いていません。
「ため息をついた」から察する部分はあるものの、あくまでも「起こった出来事を説明している」に過ぎません。
つまり、この文章は感情を排除した状況説明に徹しているのです。
文章を説明文たらしめている要素は、「~た」の連続です。
物事を淡々と説明する筆致は、読み手に落ち着いた印象を与えます。
すらすらと読み進めることができるため、決して不快な書き方ではないのです。
書き手は”考えて”書くべき
小説は自由です。
作法や通説、慣習やセオリーはありますが、やはり自由であるべきです。
今回扱った「語尾の連続」も、やってはいけないルールのひとつとされています。
語尾の連続が気になる人は、相応の工夫を凝らすことで回避しましょう。
ただし書き手は、自動機械のようにそれを鵜呑みにする必要はありません。
プロの作品を読んでも、「~た」が複数回連続していることだってあります。
書き手は言葉のいいなりになるのでなく、自分の頭で考えながら書くべきです。
連続させる意図や根拠を添えられるのであれば、勇気をもってチャレンジしましょう。
■ 参考
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