「必然性×個性」から”順当でない未来”を導く【小説の運動性】【可能性を考える】
物語の動きについて考えましょう。
小説には「運動性」があり、書き手自身が予測できないところへ物語が進む場合があります。
今回はこのメカニズムを紐解き、その扱い方について考えましょう。
状況からもたらされる必然性
ある設定をもって物語が進行すると、行き着くところはだいたい決まってしまいます。
たとえば「主人公が会社に遅刻した場面」を描くとしましょう。
遅刻する本人も、会社側の人間も、良い気持ちになるわけがありません。
遅刻は”良くないこと”ですから、そこにネガティブな感情がうずまくはずです。
このように「状況からもたらされる必然性」は存在していて、そこから導かれるのは「順当な未来」です。
従うか、抗うかは別にして、書き手は少なからずその順当な未来を見据えることになるでしょう。
しかし小説の世界では、それでもなお不確定な動き方をします。
それをどう進めていくかがポイントになります
変化の決め手は個性
会社員時代、2回ほど遅刻したことがあります。
一回目は「電車の遅延」によって、始業時間までに会社に行くことができませんでした。
自分の力ではどうにもできない状況ですから、これといって焦りはありませんでした。
遅れて出社すると、上司は私を大声で叱りつけました。
「危機管理がなっていない」「遅刻するなら通勤手段を見直せ」とお説教を喰らったものの、どこか腑に落ちなかった記憶があります。
私の中では、嫌な思い出として残っています。
2回目の遅刻は、また別の会社での話です。
遅刻した原因は私の「寝坊」だったため、怒られることを覚悟してドキドキしながら出社しました。
ところがそのときの上司は、私のことをまったく責めませんでした。
たくさんの業務をこなしていた私を見て、日ごろから心配してくれていたようです。
「業務分担への問題意識がありながら実行できていなかった」と、遅刻した私に対して謝罪しました。
私はずさんな自己管理を反省すると同時に、上司の対応に感謝し、今まで以上のモチベーションで仕事をすることができたのです。
このときの遅刻は、良い思い出として残りました。
それだけでなく、他人への配慮や接し方のお手本となり、生きていく上での教訓となったのです。
同じ「遅刻」であっても、その中身はまるで違っていますね。
この違いは、上司の「個性」によってもたらされたものです。
物語が変化するときも同様で、登場人物の個性によって行く末が変わってくるのです。
可能性を考える
前項は個人的な実体験をもとにご紹介しました。
創作に落とし込むとすれば、もっと可能性が広がります。
たとえば私は「寝坊からの遅刻」に焦燥感を覚えましたが、登場人物の個性によってはかならずしもそうはなりません。
「仕事を押し付けられている」という被害者意識があれば、開き直ってもよかったでしょう。
「怒られたくない」という気持ちから保身を考えるのであれば、ウソをつくことも考えられます。
「あーあ、やっちまった」と、楽天的な性格をもって笑い飛ばすことができたかもしれません。
書き手は「必然性×個性」から生まれる可能性について、あらゆる角度から考えるべきです。
楽しい出来事を悲しく描いたり、悲しい出来事を楽しく描いたりと、錯誤があってもいいのです。
もちろんそこでの「順当でない未来」が成立するかどうかは検討しなければなりません。
「さすがに無理があるんじゃないか」「こじつけがすぎるんじゃないか」と、冷静に判断する視点は必要です。
物語は書き手自身を越えて、順当でない未来が読み手を驚かせるでしょう。
■ 参考
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